A good day to die | 癒しではない本当の自己変革を!

癒しではない本当の自己変革を!

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 今日はほんとうにたくさんの人からお祝いメッセージをちょうだいし、幸福な一日でした(まだ送ってない人はお早めにw)。
 何がって、今日はぼくの誕生日。まだ20代のつもりでいたら、あっというまに30歳になりました(おいおい)。
 ぶっちゃけこの歳になると、2月29日に生まれたかったと思うんだが、時間が過ぎていくことはせんかたなし。せめて残りの人生はいいものにしなければ。

 ところで、誕生が始まりなら、死は終わり。グランドオープンとグランドフィナーレ。
 このふたつは、この世ができたときから対なんだな。かならずセット。光があるところには必ず影ができるようなもんだね。 
 誕生日が文字通り誕生してきたことを祝う日なら、同時に自分の死にも思いを馳せないと片手落ちになる。だって今日のぼくは、去年のぼくよりも、確実に1年分死に近づいてるんだから。
 だから自分の誕生日に、自分の死にざまについて思いを巡らすのも悪いことじゃないと思う。
 ぼくが死ぬのはいつだろう? その日のお天気は? 季節は? 平日? 祝日? 時間帯は? そのとき、世界では何が起きている?
 場所は? まわりに誰がいる? みんなはぼくの死を惜しんでくれるだろうか? または、ひとりぼっちで死んでいくかも。
 そして、この世での最後の瞬間、ぼくは何を考えてるだろう。永久に後世に伝えることができない思いを、ぼくはどう消化するだろうか。
 死ぬ瞬間に、もう人類史上最高におもしろいジョークを思いついたらどうしよう。あるいは世界を救う超画期的なアイデアが浮かんでも困る。やっぱりそういうときは、死ぬに死ねないって状態になるんかな。
 とにかく、5月31日の残りの数時間は、そんなことを思いながら過ごしたいと思う。




 ところで、生まれ年を西暦や昭和XX年といった表現でいうと、すぐに計算されてしまうから、明日から極力生年月日はイスラム歴で言うことにしようかな。
 ぼくが生まれたのは、イスラム歴1393年です。