雨の日、やる事ない日はIKEA口笛

ウォーキングできるのと、

食事もデスクワークもできるコーヒー

小物を少しだけ買いました。


 

今、親クエスト講座中なので

親子関係に関しての言葉や気づきがたくさん降ってきます。

 

今日は「毒親」というキーワードで、必要な方に

言葉が届くといいなと思いつつ書きます。

 

 

 

「毒親だったから」

 

この言葉を、自分の説明書にしてしまっていないませんか?

 

 

された仕打ちは、本物だったと思います。


理不尽も、

痛みも、

消えない記憶も。
今でもふとした瞬間、あの声が蘇ることがある、ということもあるかも。

 


それを軽く扱う必要はないし、

なかったことにする必要もありません。

 

 

でも、ハッキリいいます。

 

「何をされたか」を数え続けている間は、
人生は前に進まない。

 

 

いつまでも問題探しをしている場合ではないです。

 

 

毒親とは、特別な悪人のことではありません。

 


ただ、自分の内側と向き合ってこなかった大人、

(そういう機会も情報もなかった含)というだけの話。

 

そう考えると、見え方が変わってきませんか。

 

その人のもとに生まれたことは、
不運だったのではなく、
あなたが人一倍「自分」を極めるための舞台だったということ。

 

 

普通に育っていたら気づかなかったことに、
早くから気づかざるを得なかった。


普通なら見過ごせたことを、
見過ごせない繊細さを持つことになった。

 

それは、遠回りではなく、
「本当の自分として生きる」への近道だったのかもしれません。

 

 

 

「親のせいで、私は◯◯できない」

それは、本当に真実でしょうか。

 

 

一度立ち止まって、呼吸をしてみてほしい。


今、こうして生きている。
それ自体が、すでに絶対的な幸福。

 

 

「ある」ことを認めない限り、
豊かさは拡大していかない。

 

過去の記録係をやめて、
今日から、自分を生きる人になる。

 

 

親のことも、過去のことも、
もう十分に見つめてきたはずだから。

 

これからは、
何をされたか、ではなく、
何を選んで生きるか。

そこに焦点を移していく番です。

 

『世界は、ちゃんとまわる。』