誰かに受け取ってほしいとか、
わかってほしいとか、
許してほしいとか、
そういうことではない。
ただ、今の私の中にあるものを
この場で一度出しておかないと
先に進めない感じがしている。
それで書いている。
スッキリしたくて
ぶちまけるわけではないです。
1つ1つ言葉を選んで、慎重にしたためます。
その時、その瞬間を全部見ているだけに
私ともう1人の友人はその場で
否が応でも受け入れざるを
得ない場所に立たされてしまった。
渦中も事後も、
事実だけをみるようにした。
刑事さんからは2度ほど
「どうかご自分を責めないでください」と言われた。
ご家族の方にも
「あなたたちは何も悪くない、自分を責めないで」と言われた。
実は…自分のせいと思っていないし
自分を責めてもいなかった。
もちろん口には出さないけど。
心の中で「引き続きそうつとめます」と思った。
仮にそう思いそうになったとしても、
自分責めして自己憐憫にひたることだけは
絶対にしないと決めている。
だけど日に日に
「すみません」という気持ちも湧くようになった。
葬儀の時から、それが強く現れ出した。
なんか、
私がそこに居ちゃってすみません、と謝りたくなる。
特定の誰かとかじゃなく宙に向かって。
自分が直接的な事故の原因を
つくったわけでもないのに、
「すみません」という気持ちが出てくる。
誰か特定の人とかではなく
どこかの、なにかに、謝りたくなる。
自分が悪くて謝るごめんなさいではなくて、
ホオポノポノのごめんなさいの感覚。
何もできなくて、ごめんなさい。
畏怖を前にした、ごめんなさい。
そして、まだ言葉になりきらない
何かへのごめんなさい、すみません、がある。
*
1人の人間には、
色んな角度から見た「その人」がいる。
自分が見ている角度とは
異なる方向にもその人はいて、
いろんな面がある。
見えてても見えてなくても、
いろいろなところに
深い深い絆で結ばれた方々がいる。
長い長い時間を共にすごした方々がいる。
それぞれにとっての「かけがえのない時間」がある。
知り得ないこれまでの歴史や絆がたくさんある。
相手もそうだし、
私だってそう。
私と彼女の付き合いは、
歴史の中ではまだまだ浅い方だったと思う。
でもだからといって浅い関係なのかというと、
そんなことも決してなかったと思う。思いたい。
(実際ちょくちょく連絡をくれたり一緒に遊んでくれる、私にとって数少ない大切な友人でした)
長い目で全体を見れば、彼女には
より親密に、より長い時間を、
より多く過ごしてきた方々が他にもたくさんいる。
実際、とても親しい関係性を、
尊敬する方たちと築いている様子を
知り合ってからずっと見させていただいてきた。
そしてその様子を見るのが私は大好きだった。
そんな中、最後の時間という
「最後の1つ」みたいなものを
たまたま私たちが受け取ってしまった。
その感覚に対して「すみません」という
気持ちが湧いてくるのかもしれない。
より長く、より深く、時間や信頼を
重ねてきた方々のことを思うと
なんとも言えぬ申し訳なさが出てくる。
そう思う必要はないとわかっていても、
宙に向かってなんかすみませんと
思ってしまう。
ありがとう、ごめんなさい、
ゆるしてください、あいしています。
全部ごちゃ混ぜですみません。
それが今の心境です。
*
昨日の夜からずっとこのことについて
ノートしたりブログに下書きしているのですが、
その間に、一緒にいたもう1人の友人も
ほぼほぼ同じことを考えていて
それがブログになっていました。
なんだか、やっぱり全てが見えない部分で
繋がってるのだなぁと思った次第です。
あの日からずっと、色々と思うことはあるけれど、
ちゃんとご飯食べて、寝て、起きて
生活できていますのでご心配には及びません。
ご連絡くださった方、ありがとうございました。
5事故の日の夕方に見つけた一番星。
5月17日(日)
秋山きえ

