今年もばななさんのnoteやインスタを見て、たくさんの方がいらして下さいました。
セッションを継続していただいたり、観察術講座を受けていただいたり、量子場師になった方も3、4人ほどいらっしゃいます。
わたしがお会いしたばななさんの読者さんは、現実世界の生きづらさを感じていて、その違和感や居心地の悪さ、モヤモヤした思い、秘めた叶わぬ想い、途方に暮れている感情をなんとかやり過ごしながら、一生懸命生活している感じでした。
自分の内面にとても誠実に向き合っていて、ごまかしや嘘のつけない不器用な正直さと、得をするために人を欺いたり競って勝とうとしない、平和な世界に住んでいたい人たちのように感じます。
だからこそ、評価を得るため人を蹴落とす過酷な現実社会に馴染めず、嫌な気持ちを抱きながら生きざるをえないのでしょう。
ばななさんの作品はそのような人たちにとって、救いになっているのだと思いました。
わたしは恥ずかしながら、2年前に著者ご本人からいただいた「はーばーらいと」が初めて読んだばななさんの作品でした。
どうしてこれまで読んでなかったのだろう!?と思うほど、ばななさんの紡ぐ言葉たちはスッとわたしの中に入ってきて、作品の中に居場所を見つけたような感じでした。
流行り物が嫌いというあまのじゃくな10代から30代だったので、ばななさんの作品をスルーしてお父様の吉本隆明さんの作品を「かっけ〜」と読んでいた大学生だったのでした。
(難解ですぐに挫折してしまいましたが)
当時のわたしの、生きること社会に所属すること女性であること集団のルールに従わなくてはならないことなど、全てに違和感を覚えていて、疎外感を感じれ生きていたことが、なんだここに書いてあったんだという感じでした。
そのときは自分のそんな状態を柔らかくわかりやすい言葉で言語化できる力もなく、わざと難しく考えていて、生きることはなんと難しいことよと嘆いていたりそんな自分を特別だと勘違いしていたのでした。
あのときばななさんの作品に出会っていたらどんな人生になっていたのだろうー
生きることがもっと優しくなったのかもしれない
もっと友達をつくれたかもしれない
人を信用することができたかもしれないな
でもいま50代で出会ったからこそ、わかる価値がきっとあるはず。
仕事が忙しいという言い訳で小説を10年以上も読んでいなかったわたしの世界に、救いのような優しい光が差し込んできたのでした。それがばななさんの作品です。
小説の中にリアルな等身大の自分を見出すことはなかなかないけど、ばななさんのものは違う。
新鮮な感動とこのままでいいんだ、と贅沢な幸せを感じられるひとときです。
これから出会うまだ読んでいないばななさんの作品の中に、わたしはどんな自分を見つけるのだろう。
そして、どんなばななさんの読者の方と会えるのだろう。
そんな未来が楽しみなのです。

