スピリチュアルや精神世界、代替医療の世界をいくつか知るようになると
誰しも経験上、物申したくなります。
〇〇はこうよね。
〇〇はイマイチ。
〇〇より〇〇の方が優れている。
とかとか、あれこれ知っていること、経験したことを
人間って、言いたくなりますねえ。
しかし、知識があって、いろいろ渡り歩いている人ほど
なかなかその道のプロになれない
ということがあるのではないでしょうか。
作家の世界でも評論家は作品は書きません
というか、書けません。
大学で有名な評論家が
「僕もその気になれば小説の一つや二つ〇〇よりまともなものが書ける」
とうそぶいていましたが
絶対この人は書けないし、書く根気も勇気も無いだろう
と、当時のわたしは感じたものです。
評論家という立場は
評価する対象を自分より下に置きそれに対して距離を置いて
あれこれ述べるものです。
自分と対象を離すことによって
はじめて分析や判断はできます。
自分の意識と一体化すると、できないものです。
なので母親は自分の子供をまともに評価なんてできない。
自身と一体になっているからですね。
離す、分離する、ということ。
これは愛がなくなります。
愛や強い思い入れがあると
分析できるはずがありません。
しかし、なんらかのものに秀でる場合は
その対象に愛がないと、夢中になれないし
夢中にならないと、とてもその道のプロになれるはずはないー
そう思いませんか?
評論家というスタンスは
自らが何かに埋没してとことんのめり込んでやり抜く
ということをもともと避けている態度です。
それをするのが面倒なのか
うまくいかないことが怖いのか
評価されるのを恐れているのか
本当になにかに自らを賭けているとき
とてもそれを評価することなんてできません。
説明ならできます。
手塩にかけてリンゴを作った農園家が
どれだけ手間暇をかけ工夫をして研究してやったか
たくさん話してくれるでしょう。
それは自らのことに愛情があるからです。
評論家の立場とは違う。
評論家はそれをもともと避けています。
だからその世界を極めようとしない
極めないからいつまで経ってもホンモノになれない。
なにかの道をマスターしようとするなら
物分りの良い頭の良い分析家の立場をサッサと捨てて
どう評価されるかこれに意味があるのか考えることを観念して
なにかに没頭するのがよろしいでしょう。
ある業界で成功している人は
どんな人でもそうしているはずです。
側からバカか、おかしい、気持ち悪い
と思われても、その態度を貫きとおしますー。
ホンモノにはクールな頭脳よりも
熱い愛があります。
僕はよく変人って言われてました!!
※こちらは2018年11月の記事です
