意識は物理的な制約を超えられる
物理的な世界から量子的な世界へー
お客さんをとったとられたとか
評価をとった損ねたとか
信用をとった奪われたとか
勝った負けたとか
感情は、そんな物理的な損得勘定から起こるものです。
物質の世界では、取られると失ってしまう。
でも、量子の世界はそうではない。
空腹でようやくありつける目の前のパンを盗られたら
それは落胆するし怒るであろう。
犬は物質的な世界に生きているから
一度くわえたものを手放そうとはしない。
自分のテリトリーとか、自分のものとか
物質的なものへの執着とともに、我が育っていく。
我とは、物質を獲得することへの
望みであり、こだわりでもある。
人間にも物質は必要。
物質への欲求はたくさんある。
でも、それだけではない。
人間には動物と違って、
抽象的なものを思考したりイメージする力がある。
目の前のパンが奪われたら
落胆するかもしれない
でも、自分以外の誰かがそれで満たされるなら
それで良いと思い直す。
怒り心頭になるかもしれないが
その経験を生かし
防犯システムや法制度や
さまざまな発明がなされるかもしれない。
人間は、物理的な世界の制約を超えるもの。
それは、目に見えないもので超えられる。
目に見えないもので
わたしたちのこころは成立しているし、生かされている。
なにしろ、
愛という目に見えないものを
誰しも求めているのだから。
誰しも愛に安らぎ、くつろぎを得られ、自分自身を取り戻し
生きる活力になっていく。
愛だけではない
信頼、影響力、魅力、寛容さ、包容力、理解力、挑戦していく気持ち
それを物理的な数式に還元することはできない。
量子とは、そのような目に見えないエネルギーの世界だ。
エネルギーの世界は、とったとられたという物質の性質とは違う。
そもそも奪うこともできないし、取り返すものでもない。
それはつねに循環してもので、意識を向ければ誰にももたらされるもの。
求めよ さらば与えられん だ。
人のものを奪おうとしたり
奪われた、とられたと騒ぐのは
物質的な発想があり、その世界観から脱却できないからだ。
誰も獲ってないし、なにも奪ってもいない。
意識を変えればあるものなのに
ないと騒ぐことはない。
自分が欲しい、とりたいと思うからとられる
自分が奪いたいと思うから、奪われる
セラピストの世界にありがちな
自分のクライアントをガッチリ囲ってしまうというのは
エネルギーを我で自分自身のところにプールしている
せき止めているということで
そのことによって、自分自身が重くなる。
自分自身が軽やかな心の世界から
重たい想念と執着と物理の世界に引きずり下ろしているのだ。
量子に目を向けてごらん。
世界はもっと軽やかだ。
わたしたち人間は、誰しも
そんな目に見えないものを扱える
スペシャリストなのだから。
※こちらは2016年3月の記事です
