続 エゴは悪いわけはない
エゴは悪いわけではないエゴは制限であって、
不自由な感じがあるにもかかわらず
長い間持ち続けてしまうのは
必要性があるから
より詳しく言うと必要性があると思い込んでいるから
ですね。
必要性っていうのは、「意義」つまり
それをすることに意味や価値があることですよね。
無意識は、自分の信念や行動の意義を観察しています。
つまり、エゴは意義がある限り継続するでしょう。
これはね、具体的に言うと
「自分をいつも責めてしまう」
↓
「自分を生まれつきダメで可哀想な人間だと思っている」
↓
「その方が努力しなくても済むし、悲惨な現状を肯定できるから」
ってな感じで、自分を責める意義というのが、
現状の自分を正当化できるから、というように成立していると
責めることは、ほんとうは辛いのにもかかわらず
不都合なので、なかなか捨てきれなくなってしまいます。
自分を責める意識が強固になると
ほめても「いえそんなことはないですよー」と否定する
チャンスがあっても「わたしなんてとんでもないです」と見逃してみまう
人の良い面を認められない
いつもあきらめてしまう
という頑な精神構造になっていきます.....。
もったいない!!
でも、そういうかたいっぱいいらっしゃいます!
気づいていなくても、自覚がなくても、逃げている人も
たくさんいます。
なんのためにそのエゴを持ちつづけているのか
そのエゴと一緒に心中するつもりなのか
自分よりエゴの方が大切なのか
エゴは頑につくりあげられた、自分とそっくりな、自分をささえる
信念と観念の総体であって
自分ではないんです!!
ないんですー!ないんですー!ないんですー....
だからそれがなくても、いや、ない方が
自分が自分らしくいられるからっ!!
エゴは悪いものではないけれど
きちんと意義を理解して、
お役目ありがとう、もうその意義は必要ないんだよって
エゴに対して説明すると、「わかりました」
って去っていきます。
エゴと闘う限りじゃ、なかなかできない。
エゴさんの成果を認めてあげないとね。
エゴは悪い奴じゃないんだ。
これまで必死に自分を守ってきたんだから。
なんてけなげで、なんて誠実で、なんて正直なやつだろう。
ただ、知らなかっただけなんだ。
だから、拭いきれないエゴを観じたら、それを持ちつづけていることの、
自分にとっての意義ってなんだろーと
問い直してみるとよいですよね。
ちなみにわたしは....
だいたい
良い子でいたい
いい人って思われたい
嫌われたくない
すごく自分を犠牲にして、すごく人のことを考えていると思われたい
という想いが強くて、そのことの意義から、
ほんとうはそうじゃないけど、妥協しちゃう
イエスって言っちゃう
誤解されてバカにされた憤りを笑ってごまかしちゃう
なかったことにして逃げちゃう
というところがありますっ!!
はい!!
それもう卒業しよう!!
卒業しよー!卒業しよー!卒業しよー....
