美輪明宏さんが旅立たれました

2026年6月20日、老衰のため91歳で静かに天に召されたと知り、しばらく言葉が出てきませんでした。最期に残した言葉が「ありがとう」だったと聞いて、
ああ、最後の最後まで美輪さんだな、と思いました。
怒りでも嘆きでもなく、愛と感謝。それがすべてでした。


(撮影:御堂義乘 お写真は、美輪明宏公式HPからお借りしました)


私が美輪さんを初めて知ったのは、『紫の履歴書』という本を手に取ったのがきっかけ。
美輪さん33歳までの半生を綴った自伝で、二人の母の死、10歳での被爆、上京後のホームレス生活、売れたあともいわれのない差別と偏見……読みながら、何度も胸が痛くなりました。
でも不思議なことに、その文章のどこにも、激しい怒りがない。むしろページから伝わってくるのは、静かで透き通った、揺るぎない強さでした。


紫の履歴書 新装版 美輪 明宏 (著) 水書坊


そんな壮絶な物語の中で、私が特に衝撃を受けたのが、極貧時代のエピソード。

家賃も払えないような安アパートに住んでいた頃、美輪さんは安い布を買ってきて、ボロボロの壁を覆い、お香を焚いて、一輪の花を飾った。
外の世界がどれほど貧しくても、「この部屋の中だけは、私の美の王国だ」というプライドを、絶対に手放さなかったそうです。

これって、ただの生活の工夫じゃないんですよね。
環境がどれだけ過酷でも、自分の美意識だけは誰にも渡さないという、静かな、でも揺るぎない意志の表明だと思いました。
美輪さんの言葉の根っこにはいつも「自律と美意識」があって、自分の境遇を嘆かず、感情に流されず、苦労や悲しみさえも自分を磨く砥石として受け取っていかれていました。
あの布の一枚が、その哲学をまるごと体現していた気がして、今でも忘れられないエピソードです。


「否定」の時代に、自分を差し出した人

美輪さんが生きた時代を想像してみてほしいんですけど、戦後から高度経済成長の波の中で、人々はとにかく「普通」であることを求められていたんですよね。
男は男らしく、女は女らしく。そこからはみ出るものは、社会から弾かれる時代。

そんな時代に、美輪さんは自分自身を1ミリも曲げませんでした。
16歳でプロの歌手となり、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」を拠点に独自の美の世界を築いて、
シャンソン、演劇、三島由紀夫の戯曲を舞台化した『黒蜥蜴』……
どれもが当時の「普通」を軽やかに踏み越えていく表現でした。

反抗、というより、もっと大きなことだったと思うんですよね。
美輪さんが体現していたのは、「真我を生きること」の壮大な実験だったんじゃないかな。


布一枚が教えてくれた、創造の本質

もう一度、あの極貧時代の話に戻りたいんだけど。

お金がなくても、美輪さんの部屋には「美しさ」があった。それって誰かに与えてもらうものじゃなくて、自分の感性で生み出すもの。布を買い、部屋に垂らし、香りを満たし、自分だけの世界を作り上げる。その行為の中に、自己啓発のどんな本にも書かれていない真実があると私は思っていて。

創造って、条件が揃ってから始めるものじゃない。

「いつかお金が貯まったら」「もう少し環境が整ったら」って言い続けている間に、人生は流れていく。美輪さんは何もない状態から、美しい世界を手繰り寄せた。それは才能でも運でもなくて、自分の内側にある美意識を信じ抜く意志だったんだと思う。これ、私たちが日々の生活の中で一番忘れがちなことかもしれないな、といつも思います。


六本木で出会った、本物のクリエーター

美輪さんに実際にお会いしたことが、一度だけありました。

六本木の制作会社で働いていた頃のこと。
お昼にランチを買いに外へ出たら、目の前に一台のクラシックカーがすっと停まったんです。
思わず足が止まってしまったのは、その車のデザインに目を奪われたから。
運転席まわりの内装に、まるでヨーロッパのゴブラン織を思わせるような繊細で美しいオリジナルの装飾が施されていて、「なんて素敵な車!こんな車に乗るのはどんな方なんだろう?」って思いながら運転席を見たら……美輪明宏さんだった!

もう、感動しちゃって。

本や舞台やテレビの中だけでなく、日常のあらゆる場面、自分が乗る車のひとつひとつのディテールにまで、自分の美意識と世界観を貫いている。
想像していた以上に、日常の生き方もセンスもずば抜けていて、真のクリエーターってこういうことなんだ、と全身で理解させてもらえた瞬間でした。

声をかけたかったけれど、圧倒的なオーラと少し取り込み中な感じもあって、さすがに遠慮してしまいました(笑)。
でも遠くからそっと見つめたあの瞬間は、私の人生の中で「本物に出会えた」と心が震えました。大切な記憶のひとつとして、今も胸の中に大切に保管しています。


地球という舞台で「真我」を生き切るということ

真のクリエーターであった美輪明宏さん。

神様が人間に与え、自身の可能性に挑戦する機会を与えてくれたこの地球という舞台で、彼女はすべてをかけて、真我(本当の自分)を大切にして生きることを、その存在そのもので体現し、私たちに見せてくれました。

シャンソンの音楽会や、『黒蜥蜴』をはじめとする劇場の公演、そしてテレビで話す一言一言は、すべてが魂に響く「言霊(ことだま)」でした。
時には厳しく叱咤激励してくれたり、必要な気づきを与えてくださったり。
私にとって本当に尊敬する、数少ない大人のひとりでした。
彼女から学んばせていただいたことは、数えきれないほどたくさんあります。

そして美輪さんが生前したためた直筆のメッセージには、こう記されていました。


(美輪明宏公式HPからお借りしました)


「こんな世の中を生き抜く武器は愛の言葉しかありません。この世のすべての問題を解く鍵は愛です。愛があれば戦争なんて起こりません。」

戦争、災害、SNSでの誹謗中傷が溢れる今の世界に向けて、91年の人生の最後に残した言葉がこれ。美輪さんらしいな、と思いましsた。
怒りでも嘆きでもなく、愛。ずっとそこに戻ってくる人だったんだなぁと思いました。


あなたへ──美輪さんが遺したバトン

美輪さんはもういない。でも、遺してくれたものは、私たちの中に生きています。

あなたにも、紫の布があるはずだと思います。

それは文字どおりの布じゃなくて、書くことかもしれない、料理かもしれない、誰かにかける優しい言葉かもしれない。
お金がなくても、評価されなくても、誰にも理解されなくても、自分の美意識を、自分の真我を手放さないこと──それが美輪さんから私たちへの、一番大切なメッセージだとわたしは受け取っています。

真我を生きることは、孤独を伴います。
でも美輪さんは、その孤独の中でも圧倒的に美しかった。
それを91年かけて見せてくれたことへの感謝は、言葉にし尽くせません。

黄色いバラに飾られた祭壇に、ファンからの手紙が納められた棺。
どうかその向こうで、美輪さんが歌っていますように。

美輪明宏さん、ありがとうございます。
同じ時代に生きることができたことに感謝しています。
あなたの光は、紫の布のように、今も私たちの部屋を彩っています。


美輪明宏さんのご逝去を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げます。


私がお仕事をご一緒したことのある方が取材をされた美輪明宏さんについての記事を
ぜひ、読んでみてください。⬇️

「理解に苦しむものはみんな化け物扱い」――闘い続ける“不死鳥”、美輪明宏の人生(取材・文:内田正樹/撮影:御堂義乘/Yahoo!ニュース 特集編集部)


YouTube RED Chair 【美輪明宏】「 目に見えるものは見なさんな」完全版



「ヨイトマケの唄」