
吹田・関大前「静心庵」・タロットセッション 叶淨華です

昨日は、父親の十七回忌の法要をお勤めしました。
父親は、今の住職の先代の住職です。
うちのお寺での法要に、檀家の皆さまがお参りして下さいました。
亡くなってもう16年も経つなんて・・・
もうそんなに経ったのね
私は16歳も年をとったのね
私は、父も母も大嫌いだった。
お寺の娘だったこともイヤだった。
「お前は、お寺の娘だからちゃんとしなアカン!」と何度も言われた子供時代が
嫌だった。
(ちゃんとするって何よ
)私を自分達の都合のいいようにコントロールしようとする両親だったので
何度も衝突しました。
でも結局、ずいぶん遠回りをしたけれど、父が歩んだ仏教の道を
私も今歩んでいるのがとても不思議に思います。
やっぱり、子は親の後ろ姿を見て育つというのはホントです。
もし両親が音楽家だったら、きっと私も音楽に関係することを今していただろう
もし、商売人の家に生まれていたら、今頃、お店を切り盛りしていたかもしれない
そう思うと、意識するしないにかかわらず「仏教の道」というものを求めて
進んで来たのかもしれない
父は、自分が受け取った仏教の話。
親鸞聖人の話を法話にして多くのお寺にへ出向き、
亡くなる寸前まで布教活動をしてきました。
そして多くの書物も執筆していました。
亡くなってからも一度もそれに目を通すこともなかったけれど
私が今年7月に皆の前で法話するという大役を頂いた時に、
ふと父の残した本を思い出して読んでみたのです。
あんなに大嫌いだった親が、もう親とも思えない・・・
これはひとえに仏さまからのお言葉なのだとつくづく思えた
父の数冊の本たちでした。
晩年父が残した言葉を、門前掲示板に書きしたためました。
人は元々 愚(ぐ)であるのに
愚であることを忘れて
賢(けん)になろうとする
亡くなって随分経って分かる、親の有難さかな・・・
(字余り・・・笑)


