祥月命日(しょうつきめいにち)とは、故人となられた月日で、年に一度の命日のことです。
それに対して、月命日(つきめいにち)というのは、毎月やってくる同じ日の命日のことを
言います。
だから、一年のうち1回の祥月命日と11回の月命日があると言うことになります。
ところで、今日、伺ったお家の奥様が言われるのには・・・
「自分の姑の実家の両親(姓が違う)の遺影(故人のお写真のこと)が、
姑が生きているうちからずっと、うちの家のタンスの上に額に入れて立てて、お花やお水を供えてきた。
半年前にもう姑も亡くなって、いつまでもうちの○○家の家系でもない遺影を飾っているのは良くないと親戚のものが言うもので、どうしたらいいんでしょうか?」
というような質問をうけました。
基本私の宗派である浄土真宗は、遺影などのお写真を祀りません。
ですから、タンスの上でホコリの被った遺影などなんの意味もないのです。
遺影にお花とお水? ハッキリ言ってそんのものいりませんよ

ホコリの溜まった額縁は燃えるゴミの日に出して下さい。
お写真は、処分するのに忍びないのであれば、きれいにホコリを拭って、
アルバムにでも入れて仕舞っておいて下さい。
もし、処分したいのであれば、燃やして下さい。
姓の違う仏(ほとけ)さんを、同じ仏壇に祀ったらアカン、罰があたるとか、
故人に祟られる・・・とか言う方もおられます。
遺影にお花とお水を供えて祀ってるってことは、未だにこの遺影に故人の霊が宿ると思い込んでおられるのです。
亡き人は、「お!ちゃんとお花やお水供えとるな
放ったらかしやったら承知せんぞ
」なんて、そんなことはなーんにも思ってないんです。祟るとか罰とかってことに囚われているのは、生きているこちら側の人間の
勝手な思いなんです。
「ちゃんと、供養しとかな罰があたる」とか
「遺影なんか処分したら、おばあさんが化けてでる」とか
面白いですね

ちゃーんと、お葬式もあげて、亡くなられた時点で成仏されているのですから、
生きている人が、そんな風にこの遺影にはおばあさんの霊が宿っている!などと
勝手に思い込んで、迷いの生活を送っているのですね

きっと亡き人の方が「おいおい大丈夫かい?」と心配されていることでしょう

