こんにちは

クラファン
ラストスパート中の

神仏広告代理店
菊田信子さんのブログ

もう

なんチューこと
してくれてんですか!

夜中にアップなんて
興奮しすぎて
眠れませんって!

発表された
この特別御朱印
素敵で
ヤバかった‼️

御影好き
の心を鷲掴み💓


長田神社 
南方神社





もともとは
一つの神社だった

 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/992131 



菊田さんのブログより引用



江戸時代の風景では
一つの神社なんですよ



今の写真を見ると
緩やかな参道の階段は
真ん中で二つに別れてます


絵図の赤い丸のように

鳥居が二つだった頃の
名残が階段の境に
残ってるんでしょうね

二柱の神様が
御鎮座されていた頃に
想いを馳せて
御朱印を並べると

キャー😆💕 
萌えますって💕






そしてここに

素晴らしい

岩切宮司さまの書が

入ります


丁寧に硯で墨を磨り


とても時間をかけて

書かれた書と印


惚れ惚れ💓


建御名方神と事代主神は、日本神話の「国譲り」に登場するオオクニヌシの御子神



コトシロヌシ


天津神から国譲りを迫られた際、父オオクニヌシに代わって早々に天津神への服従を誓いました。この賢明な判断から、和と順応の象徴とされています。



タケミナカタ


兄の服従に納得がいかず、天津神の使者であるタケミカヅチに力比べ(相撲の起源とされる)を挑みました。しかし圧倒され、信濃国(現在の長野県)の諏訪まで敗走し、その地に鎮座


再び

天保の時代の絵図


青丸の場所には今でも
豊磐窓神
櫛磐窓神

鳥居の前の参道は今では

国道10号線

そして緑丸の竹は
今でも残ってる

境内の竹は
長田神社の六月灯で
拝殿に吊るされ
役立ってたよ


石灯籠の柱は
天保11年
ちょうど絵図の時代に
作られたのもの



Wikipediaには
薩摩藩主から非常に篤い庇護を受けていたが、明治以降の廃藩置県などで
庇護を失い衰退。2004年には社殿が老朽化により一度取り壊され、しばらく鳥居のみの状態が続いた
2010年に
現在の社殿が再建

現在の岩切宮司さまの
代になってから

南方神社さまも
長田神社さまも

再建されたんです


宮司さま 
ありがとう
ございます✨

だから私は
今回のクラファン

クラファン実施中です