中2の2学期から不登校の娘は、高校も不登校になり中退。今は「無所属」ですが、おうち生活をしながら大学進学を目指しています。


ポムです🍎





中道あんさん著

『「誰かのために」を手放して生きる』

の読書会に参加しました。



あんさんご本人が、わざわざ東京まで来てくださり、美味しいケーキと紅茶をいただきながら、参加者全員で語り合う時間。



参加されていたみなさんは、これまで何かの

「役割」を背負い、頑張ってこられた方ばかりでした。


そして今、その「役割」を手放し、次の何かに向かおうとしている。


では、私はーー?


そのとき、とっさに浮かんだのは

人の顔色をうかがうことを手放したい!

その思いでした。


夫婦関係がうまくいかなくなり、

次男、そして娘の不登校が続いたここ数年。


私は、夫や子どもたちの顔色をずっとうかがいながら過ごしてきました。


本当はこう思っている

本当はこうしたい


でも、それを言ったらいけないーー

そんなブレーキが、いつも私の中にありました。


私はきっと、

自分の気持ちよりも、

「嫌われないこと」や「波風を立てないこと」を優先してきたのだと思います。


その延長線上に、

“誰かに愛されていると感じたい私”もいたのかも知れません。







この本の中に
“誕生日をひとり祝いしよう”
という一節があります。

それを読んだとき、私は少しドキッとしました。

私にとって誕生日は、ずっと“特別な日”でした。

誰かに覚えていてほしい日。
誰かに「おめでとう」と言ってほしい日。
できることなら、愛されていると感じられる日にしたいーーそんな思いが、どこかにありました。

その一方で、心の奥には
「どうせ誰も私を愛してくれない」という気持ちも、ずっと抱えていました。

愛されたいのに、愛されない、と思っている。

期待したいのに、傷つくのが怖くて先にあきらめてしまう。

それはきっと「愛着」の問題ですね。

あんさんがそう言ってくださったとき、
私は一瞬、言葉を失いました。

図星だったからです。

誰かに満たしてもらうことで、自分の存在を確かめようとしていたこと。

そして、満たされないと「やっぱり私は愛されないんだ」と思い込んでしまうこと。

だからこそ、「ひとりで誕生日を祝う」という提案は、
“誰かに祝ってもらう私”ではなく、
“自分で自分を大切にする私”へと視点を変えるものなのかも知れません。



これまで私は、
夫や子どもたちの“顔色”を見ながら生きてきました。

でもこれからは、
人の顔色ではなく、自分の心の色を見て生きていきたい。

今年の誕生日は、
誰かに祝ってもらうのを待つのでなく、
自分で、自分を祝ってみようと思います照れ

少し勇気がいるけれど、
「誰かのため」から「私のため」へ。

その一歩を、ここから始めてみます。





***

読んでいただき、ありがとうございました🍎