むかし、服の学校行ってて、
彼氏も友達もいなかった時、
毎日毎日、1本だけレンタルビデオ見てた。
当日100円で、毎日毎日。
見終わったら、自転車で返しに行って。
お菓子も食べないし飲まないし、
部屋を真っ暗にして
勉強として見てた。服をメモしたり、英語の言い回しとか、そういうことを勉強させてくれる人をすごく求めてた。
そのあと実際めぐり合うことができた。
その時の誰もいらない技術だけでいいって気持ちと
コミュニケーションうまくできないやつはだめという思い込みが大きかった
その時の映画とか、孤独とか何一つ無駄じゃないが
でもなんかそのもの悲しさとか
頑張ってる感とか最近薄れてきた。そういうのが、本当に切なくて好きだった。
私は私の不安定さやいびつさや、ねじ曲がったところも
同じように純粋で傷つきやすく弱いところも気に入ってる。
直そうと取り組むけどなかなか改善されなくて、そういう自分が嫌になって、全部脱ぎ捨ててしまいたいって、
不定期的に、いつも思って、
パリに来たら改善されるようなイメージがあった。
でも、自分が変わってないから私は、中途半端でしょぼいままだった。
切ない自分がほんとにほんとにすきだったのに、もうそういう風に考えられない。
こういう自分もいる、ということ。
上がるしかないということ。
自分のカードを、表に出さなきゃ効果を発揮しない。
頭の中で、出来たもん、出来るもんって言って、補欠でそういう自分がいても、現実に出さなくては、ボードは変わらない。
言葉で言うのが難しいが。
そうやって自分さぼりしているうちに、本来の自分を見せなくなり、出さなくなり、見せられなくなり、出すことも忘れて、
つながる相手はいなく、
成果を手にもせず
意識にも上らず
人が去っていったり
自分は冴えないまま
それを良しとしていたりする。
自分を見せないことをずっとやってくと、
自分がそもそも相手と合ってる意識が感じられないから、向こうもそんなもんだと思ってしまうんじゃないかなって
その人と共有できる一部でいいと思ってしまうんじゃないかなって
それが人付き合いだと、みんなは思っているように、私には見えてて、そういうものなのかとやっていたけど、私には不満で、
100万パーセント私に向き合う気がある人間を探して、旦那さんに出会った。
旦那さんは、すごいレアケースだと思ってが
自分が自己開示が少ないだけ
自分がびびってるだけ
なのかなって思った。
私はいままで私に合う人はいないなーっていつも思ってた。いない方いない方見てた。
多分見てる方向が間違ってた。
いる方見てなかった。
だからって私は輝いてるかというと、必死でソフトマット加工しているような気分だった。
それをやめたくてもあって、パリに来た。
自分で自分をくすませるようなことをして
それが普通だと
それが周りとうまくやれるコツと思っていたけど、そうじゃない。
でもまだ辞めてないな。
無鉄砲でもないし、奔放でもないし
人に気を使うし
不快でも言わない。
私は私をみてくれるひとを見てて、
私はそれに応える。
べつにまとまってなくてもぐっちゃぐちゃでもやることやって先に進めばいいじゃん。
ボディ売ってるのが、シャンゼリゼ近くって、パリはおしゃれすぎ。
届くのに1-2週間。日本は便利すぎ。
こんがらがって、もそういうの、
放置しても
全然良かったんだろうな。
やることをやるだけの話。
現実に比べたら。
メンタルなんて。
だから精神力を鍛えろ。
手にできるはずのスタートラインはどこか、いつも見てたら、
それでもやっとスタートラインだけど、
そこまでやってる人あんまり今いないから、
そういうのが自然に目立つ秀でるということなのかな。
旦那さんとすごく会いたい。
なんか愛情表現や気の持ち方が、たまに私、男性のようだなと思うけど、内面完全に強度な乙女です。





