根本的な思い癖が直ってないから、
他いくら頑張っても、太刀打ちできないことに気がついた www
私の思い癖
「他者が言うことは、一理ある」と、自分の価値観と真逆なことでも受け入れること。
。。。
これ、一見、とても素敵で美しいものに見える。
でも、コレ 超危険 ![]()
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全部受け入れたら、自分の価値がどこにあったか分からなくなる。
言葉は悪いが、洗脳の第一歩だよな www
相手の価値観を全否定した挙句、自分の価値観をゴリ押しするのって www
気づかなかったよ。
対立してなくても、普通の良好な関係の中にも、こういうことはあるんだってこと。
悪い関係じゃないから、自分が否定されていることに気がつきにくいんだ。
自分が否定されていることに気づいても、「相手は自分の為に言ってくれてる」と、思っちゃうんだ。
仮に、それがホントに「相手を思って、相手の価値観を全否定」しているとしてもだ!
それはあくまでも「相手がみている《自分》」であって事実と違うことが多い。
わざわざ、全力で否定してくる人の中身の大半は、「あなたの価値観を私は受け入れられない」と騒いでるだけ。
価値観の問題では無いことまで、価値観や人格のせいにしてくる。
「それは自分がされると嫌なことだからやめて欲しい」って言えば済むだけの話だと思うんだよね。
そして、それが1番説得力があると思うんだよね。
で、「相手の嫌なこと」が、個人的わがまままなのか?
「物理的心理的被害に基づいた嫌なこと」なのか?
相手に聞いてみないとわかんないよね。
自分の価値観が否定されると、
つい、相手の言い分も一理あるって、自分が揺らいじゃう。
当然ダッタヨ!
私が求めていた100%の「正しさ」なんて、なかったんだもの。
私も、相手も、ある程度は「正しい」。
生活の中で相手と触れ合う価値観については、話し合って折り合いをつける必要はあるけど、そのために社則、条例、法律、常識(変化するし罰則ないけど)があるんでしょ?
個人の資質を否定るすのは、馴れ合いを越して侮辱だと思う。
でも、これ難しいんだ。
相手が自分の為に言ってくれてると、思っちゃうと、相手の価値観を信じちゃうだろ。
ましてや、それが「相手が見ている《自分》の姿」についての話だったら。。。
これ、ホント難しいんだよ。
自分の価値観を自己評価にだけ頼りすぎても偏って、自分の真実を見抜けなくなる。
かといって、
他者が言う「自分」を全て信じるのも危険なんだ。
あくまでも「その人から見た自分」に、過ぎないからね。
人は偏見、嫉妬、僻みで、無意識に「人を貶めるからね」。
悲しいことに、これ「貶める側」が悪いって一概に言えないんだ。
「誰もが持っている無意識の悪意」って、何も無けれぱ無意識下で眠かせてる、ある程度の自制が働いているんだよ。。。
やっかみが目覚める所までの責任はある悪意を持つ方にあることのだと思う。
目覚めたやっかみを助長させるモノは、こちらにあるかもしれないと思うようになったんだよ www
交通ルールじゃないけど「危険回避の義務」って、あるんだなと思うんだ。
防備に人を信じるとの隙にね、相手が反応しちゃうし、
「自分で決めない」ことは、相手に「自分の決定権をあげちゃう」だから、当然「私はあなたより下」ですと、自分から言ってるのと同じ。
必要以上に謙虚なのも、同じ。
相手の話に一理あるのは事実。
だからと言って、自分を価値観を全否定されることを許すことは別!
「話を聞く」≠「相手の話を受け入れる」
うっかり、普通に聞き続けてると、
相手は自分の話が正しいと肯定されてると思ってしまう。
つけ上がる相手が悪いんじゃなくて、つけ上がらないための努力をぶち破る誘惑材料をこちらが与えていることも、問題だと思ってるんだ。
私は自分だけが弱いと思って長いこといきてきたけど、実は人って、そんなに強くない。と、分かってきた。
強くないんだもん。
頑張って自制してても、人は誘惑に負ける。
私の中にも無意識下で頑張ってるの自制心はある。
他者が沈めている悪意を起こす誘惑の種を撒かない自制心も同じぐらい必要だと思う。
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カウンセリング技術で
「あなたは、そう思っているんですね」って
いう返しがある。
これで、自他の境界線を引くんだ。
相手に伝わるかどうかは別として、、、
伝わらないことも結構ある(私はね、関係性と伝え方で変わるから)。
「あなたのことは認めてますが、同意はしません」って意味なんだが、私、これが難しい ![]()
だって。
私がコレ言う時は、完全同意拒絶のときだもん www
相手と対立してでも言いたいときしか、使わないよ。
ケンカになったことはないけど「私が相手の話を許してない」のは相手にも伝わる。
(たぶん、私の目が座るのだ)
私がこれを使うと、相手の言葉や行動を否定や避難はしてないけど、真っ向から拒絶する言葉になる。
言葉は、言葉そのものの意味よりも、言葉の背景、心が大事って、まさにソコだよね
私は、完全拒絶の手前の言葉が欲しい。
本来「あなたはそうなのですね」は、拒絶の会話のために作られた言葉では無いはず、、、
私が使うとそうなるだけの話。
外側をいくら整えても、中身が整わなければ使い物にならない、良い手本だな www
カウセリングは技術ではなく、在り方なんだよ www
勉強したら、身につくと思うな www
身についたと思うな www
バカヤロー www
私は、カウンセラーでもなんでもないから、思ったまんま、日常生活で自由な会話を楽しむを目指してます。
自分の身は自分で守りたいし、円滑な日常が欲しいので、日常会話で使える応用をたまに考える程度です。
いまのわたしは、
相手と対立しない程度で、お互いの価値観には触れないでおきましょうね、って感じの境界線を引く言葉が欲しいんです。
「お互いのスタンスは違うけど、仲良くやりましょう」って、どう言えばいいんだろう?
私は「スタンスは違うけど仲良くやりましょう」の言葉の中に「スタンスの違いを認められないのなら、それまでですね ❣️」を暗に入れるだろうな www
あ、その前に、
やっぱ、お互いのスタンスの違いを、相手に知ってもらう必要が、、、?
対立する価値観知ってもらう努力は「無駄」だと、やっと悟った。
「他人の価値観を受け入れられない相手」をこっちが受け入れた方が早い。
⬇
①
私の価値観を理解して貰う必要は無い。
②
私の価値観への理解は不要だが、1度、相手に自分のスタンスを表明する必要はある。
「聞いてないから知らない」は、トラブル回避のためにも防ぐ必要がある。
伝えたたきの証拠になるものも残したいね。
(日時、場所、内容の記録、第三者の承認とかね)
③
相手が、自分を曲げなかったら、実務レベルで対応していけばいいんだ。
そこに、感情なんていらない。
「感情」と「実務」を分ければいいんだな!
プライベートで、私の価値観否定してくる奴がいたら、「切れば」済む話だもんな 。
人の人格を否定することで、生まれる結果にロクなことはないんだよ!
凹みたくないから、
上手くいった? 他者との事例を先に書く。
価値観、人格の否定で良いことなど無いと、書いたが。
反社的パーソナリティを持つ人が、自分の生活範囲に混ざることはある。
自分がその場から離れれば、解決するモノであれば、それが1番BEST❣️
触らぬ神に祟りなし
ただ、自分の所属内での出来事なら、
「その場にいたのに、何もしなかった」ことが、どう言う結果に繋がるかは、私にはわからん。
私は、組織ルールの前に「人としての信条」を大事にしたい、面倒くさい奴。
なので、どこへ行っても変わらないであろう
自分ルールを作ってみた。
社会ルールから飛び出した奴には「教育」「指導」は必要。
だだ、その過ちを犯した瞬間にその場で教えないと、理解して貰えない。
事が収まったと本人が思った瞬間から、話が通じなくなるから。
「タイミング」と「伝え方」。
とても重要。
しかも、それで上手くいくとは限らない。
あくまでも、「私ができる第1段階」に過ぎない。
第1段階が成功したからといって、後日、その問題は起こらないわけではない。
「なぜダメなのか」を心底理解出来てないから、理解は出来てなくても「そういうもんだ」を覚えてもらわねばならないから、繰り返すことに、腹を立てたりめげてはいけない。
「言葉は悪いが、そういう奴と関わる時、「イヌの躾」をしている気分になる。。。
こういう言葉がでる私も、相当ろくでもないってことだ。
教えられるタイミングって、そうしょっちゅうあるわけじゃない。
大したことでなければスルーもするが、私が問題視している行動に出会っちゃったら、「教育」を目指すなら躊躇してる場合じゃない「勝負は一瞬」「覚えない選択肢も受け入れてる」から、私がやる。
「制圧」を目的とするなら、私は「指導者を呼ぶ」。
「権限と責任」の問題が絡むから。
「理解出来ない」人に「理解を求める」のは、相手にとって苦痛以外の何物でもない。
いつか理解の前に苦痛が先に来るんだ、理解したくなくなるだろ。
「理解して欲しい星人」だった私が言うんだから、相手のキャパを超えた理解を求める行為が害悪しかないっていうは、身を持って覚えたぞ www
今の私は、第1段階では
「この場合は、○○した方がいい」と教えるように変えた。
だって「正解」をしならい人に「否定」だけ与えても、傷ついて怒るだけでしょ?
まず、行動を止める。
反論してくるから、感情を挟まず「betterな行動だけを伝える」。
限度が止まれば、私は場を離れて関与しない
。
betterを1つ覚えても、応用は効かないから
多少場にそぐわないことがあっても「変」で終わるなら、OKだと思ってる。
「トラブル」にまで発展しなければ充分。
人の意見を聞く耳があるのは「いい子」だよ。
第二段階
言葉で言動が止まらない奴は「所属の規定」の発動権利を持ってる人に委ねるしかない。
私にできることは無い。
第三段階
もっと上の機関か警察ですね。
段取り分かってると、悩まないし、楽になりますね。
例えば、
机を運んで移動した先に、テーブルを片付けてる最中の子がいた。
机を運んでる方は「邪魔です!」と、言いながら前進してくる。
危ないし、邪魔って言われた方は、当然、反発する。
「机が重いから![]()
」と、机は自分を正当化してる。
「こういう時は、机を下ろして順番を待った方がいい」
机が重いのは、おろせば解決するのだから、
順番を待てるだろ? と、暗に目で脅す アドバイスをする。
コレで暴言と行動が止まれば、私はその場から離れる。
昔は、その後もフォローしたが、今はことが済めば関わらないことにしている。
今、嫌いでなくても、そういう奴は、いずれ私が嫌いになるから!
将来嫌いな奴にまとわりつかれる可能性を防ぐのは、私の責任でしょ?
今回は、事が済んだ後、私に詫びに来たが、
アイツ、当事者に詫びを入れてない。
その場で気づければ「私より当人に謝れ」と言えたのだが、アイツが必要以上に私に詫びるので、その調整でいっぱいで忘れた。
必要以上の詫びは、自発的なモノであっても後にウラミに化けやすい。
気を良くして謝罪を全肯定すると、恐ろしい思いしかねないぞ www
全力で不必要な分の謝罪を「なかった」ことにしたいと、必死だった.
あとで、被害者?に謝ってないことに気づいた。
モヤモヤする、「被害者に詫び入れろ」と、言いに行きたい気持ちはある。
気持ちがあっても、それを実行してしまうのは「過剰介入」となり、今度は私がその責任を負わねばならんくなる。
時間が開いたモノを蒸し返してモノを申すことができるのは、被害者か上司だけだ。上司には報告メモを渡して、私はこの件から降りた。
理想は、ヤツが私に詫びを入れているときに、その矛先を被害者にむければ良かったんだ。
ヤツが被害者に謝るかどうかは別として、、、
自分が過剰に謝られて、テンパってる場合じゃなかった![]()
私が私への謝罪を減らしたからといって、やったことが消えるわけじゃない。
アイツ、私に謝罪したことで「帳消し」なったと思ってないだろうか?
「私に謝罪する必要は無い」と言われて、加害者への謝罪もひつようなくなったと思ってないよな?
私が気づかなかっただけで、先に加害者に詫び入れてたんだったら、いいんだけど。。。
大袈裟に言うと加害者が私を恨んでも、仕方ない状況を私は作った _| ̄|○
もっと、精進しよう。
誰も傷つかないなんて、結末は無いのかもしれないな
少なくとも、私はつくれない
価値観の違いに正悪はない。
でも、心理的世界において、
無いはずのそれは、存在する。
目に目えないからと言って、
そこに「無いモノ」を「ナイ」とは、私には言えない。
価値観に「正否」をつけたがる人がいる以上、それは「アル」んだよ。
「目に見えないモノであっても」「存在しない道理」であっても、持ってる人がいる以上、それは「アル」。
そこは否定しないが、だからと言って「私の価値観の全否定」を私が受け入れてしまうと、「私の自我」が崩壊するんだよ。
善意だろうが、悪意だろうが、そこはやっちゃダメだと思う。
自分が正しいという思いが強ければ強いほど、そうなっちゃうんだよね。
無自覚なんだよね。
私もあなた方も。
まさか、善意で自我の崩壊危機を食らうとはwww
ホント、
大事にしよう。
相手の世界。
大失敗。
相手だけ、守ったってさ。
善意の押し付けから、身を守れなくて私の自我が壊れたら、相手が恐ろしいまでのダメージを受ける。
私と根本が真逆で合わないだけで、いい人だった。
私があの人理解するように、あの人も私を理解する努力をしてくれれば、最強な2人に慣れたかもしれない。
私、平気だと思ってた www
自我を守る1番の方法はね。
一理あると思う程度に受け入れて、自分を大きくすることじゃなかった。
自分の度量が上がる前に、ひび割れるから、「聞かない」「受け入れない」が大事だった。
「器が大きくなる前に割れたらどーするの」って、こんな素晴らしいことを善意で言うヤツが、私の自我を破壊してくるんだぜ www
「理論を知っている」と、「理解、会得している」は、違うって証拠だね。
相手には私で学んで欲しいとは思うけど、「私が相手のトラウマ」になってしまったら、本末転倒だから、、、
私も、自分を作り直さなくちゃ!!
夢と希望を備えた頑張っる人の前途を、私が潰しませんように…
正反対で合わないからって、得るものがないわけじゃないんだよ。
正反対だからこそ、得られるものだってあるんだよ。
否定しければ、自分が欲しいと思うモノを得られるチャンスなんだよ。
。。。
私、凄くて、弱いからな www
気づいてしまった人にとって、怖いだろうなぁ。。。
怖くもあり弱くもあるから「叩かれ」やすくもある。
人には敬意と尊敬、仲間には褒めるを意識して頑張ってるのに、それでも、、、
「見透かされてるような怖さ」を感じるのかな?
「怖い」で、敬遠されるのなら、まだカッコイイけど、
「善意の無自覚で叩きすぎで、私の自我崩壊のピンチに陥った」恐怖で相手が委縮していまうのは、、、
まだ、社会に夢を持ち、伸び代も残ってる人の前途に影を作ったとしたら嫌だなぁ。
かなり痛い思いをしだろうし、価値観の変容を乗り越えるのもとても大変な道のりにしか見えないけれども、それでも結果オーライとして、健やかに伸びて欲しいなぁ。。。
理想の自分と現実にギャップがあるのは当たり前。
私が言うのもなんだが、あなたの理想と熱意は嫌いじゃない。
理想と現実のギャップの間に努力が見えるから!
危機にあった私が言うのもなんだが、
この失敗からちゃんと学んで、ちゃんと観たら、悶絶モノで苦しいだろう。
苦しいから目を背けて忘れたら、成長はないだろう。
選ぶのは、本人様だもんね。
私の希望は忘れよう。
私が潰れるという形で、相手が学ぶかどうか分からない何かに、自分を使いたくない www
自分の犠牲が大きいと、見返りが欲しくなる。
だったら、最初から私には幸せでいて欲しい。
見返りとか、策略とか考えなくてすむように。