私は「正しさとは何か?」に、結構こだわる。
こだわる癖に、大概は結論が出ない。
結論が出ないときは、無理しない。ただ、自分の根底にある価値観のゆらぎを痛感するだけ。
価値観は無理やり作るものでは無いから、自分の中の結論が生まれるまで待つ。
コレ、結構じれったい。
正直、ムカく、面白くない。
感情的に不快であっても、自分の中で納得するまでは保留にする。
人の受け売りを自分の意見としたくない。
そんなことをすると、いざって時に自分が揺らいで動けくなるから!
修羅場では自分の腹が座ってないと、あっという間に激流に流されてしまうから、、、
時間かけても、自分の信念を持っとかないと修羅場で生きられない。
「信念」と「正否」は別。
だから、平時では、「正しさとは何ぞや?」と、隙あらば悩む。
修羅場は自分の生き残りがかかってるから、「正否」より「信念」で動く、ってかそれしか考えない。
その反動なのか?
暇になると「正しさとは?」と、考える。
自分の価値観がハッキリすることはあっても「正しさ」の答えなんか、出たことがない。
無い正解を求め続けることにも疲れたきたが、「悪人」が「正義」に憧れるような感じでやめられない。
ネットサーフィンしてたら、
私の答えの一端を示してくれる記事に出会った。
【一部引用】
「理屈の正しさ」で勝負しても溝は埋まらない
「どちらが正しいか?」ではなく「自分はどちらの理屈を選びたいか? (どちらの理屈を正しいとする立場でありたいか?)」という価値観こそが自分の意見の拠り所であり、結論を分ける分岐点なのです。
自分には理屈がある。相手にも理屈がある。
「理屈の正しさ」で勝負しようとしても溝は永遠に埋まりません。合意形成の大半は理屈の正しさではなく、価値観を説明することによってなされるものといってよいでしょう。
頭の良い人は、こういう事を自分の中から生み出せるんだよな。
悔しいやら、羨ましいやら …
でも、賢い人がもたらしたくれる恩恵、全力でちょうだいするよ www
馬鹿だからこそ、 素直に学べるってもんだ 

丸ごと貰うんじゃなくて、コレをベースに自分を構築するんだ。
賢い人の考えを否定したり、改ざんしたいわけじゃないよ。
自分の考えを掘り下げるための教科書にさせて貰うんだ。
どんなに素晴らしくても、正しくても人の考えはあくまでも人のものなんだ。
言葉の意味は同じだとしても、自分自身の言葉で生活の基盤にならないと、ソレは、使えない。
どんなに素晴らしくても、自分が使えないモノでは意味が無いんだよ。
私は自分が使える、自分の価値判断が欲しいんだ。
ここが揺らぐと、行動出来ない。
。。。
私には、穏やかに人生を生きるという発想は無いのか 
憧れはするけど、無いものねだりする年齢は超えてしまったからなぁ。
他の人の人生には「穏やかな生き方」も、あるかもしれないけど、比べたところで意味なんかないからね。
もう、修羅場を前提にしか考えられない自分に落ち込むのは辞めるんだもんね 

ようやく一皮剥けた自分に会えて、嬉しいです。おめでとう私
おわり
