バイオレンスについて…「響」 | Pieria 鍼灸とオーラソーマの統合ボディワーク

Pieria 鍼灸とオーラソーマの統合ボディワーク

東京世田谷区・奥沢 光の鍼 Pieria -ピエリア-
鍼灸とオーラソーマを統合したボディワーカー。「光の鍼」の使い手。「クラニオセイクラルタッチ」施術者。各種エッセンス使い。冷えとり歴、四半世紀超。

(読んで不愉快な思いをする方がいる可能性もあることを、最初に記します)

 

 

映画「響  HIBIKI」を見ようかなと思う。原作がかなり面白かったから。

(某マンガサイトで一気読みした^^;)

画力は荒くストーリーも相当無理があるが、
テーマと登場人物のキャラ立ちが面白い。

 

私は暴力は大嫌いだけど、

暴力として表現せざるをえないエネルギーがあることは、わかる。

 

人を「痛い目に合わせる」やり方はわかりやすいものの、
「目には目を」「やられたらやり返す」という循環を作り、
戦争にさえつながっていくのは明らかなこと。
 
でもねじ伏せられたり、我慢せざるをえなかった側に
ものすごく不健全なエネルギーが蓄積してしまうのはもっと深刻だ。
 
そこへ全く違う次元での解決法として、
純文学による芸術的で圧倒的な感動」をもたらすことでのエネルギー変容
を表現しているのがこの作品(と、私は思う)。
 
地上的には難しい問題に、天使の視点を導入して問題を問題ではなくするという
オーラソーマ的にはマゼンタな手法だと感じるのだけど、
バイオレンスも描きながら、それをやっているのが面白い。
 
 
今ならもう普通に書いて良いと思うが、私の父はDVだった。
介護と見送り等を通じてワークをやりきったので、
今となっては父のことは殆ど思い出さないし、
たまに思い出せば、良い思い出だって勿論あるし、
何より養ってくれた地上の父としての敬意もある。
 
でも「響 小説家になる方法」を読んで、
久々に高校生のときの大喧嘩を思い出した。
いまだに許していなかったからだろう。
 
当時の自分の感情をはっきりと覚えている。
だって単に殴りたいだけではなく、はっきり殺意があったから。
 
「金属バットは物置のあそこにあった」
「10秒で取りに行って、この角度で使う」
「食器棚は壊れる、椅子もテーブルも食器もガラスが割れて片付けは面倒だが、やむをえない」
「金属バット殺人ってこういうふうに起こるのか、案外簡単だな」
「警察沙汰になるかならないかって、紙一重なんだなー」
 
などと一瞬でかなり明晰にというか、他人事のように考えていた。
少年法うんぬんの発想は私にはない。
 
ただそこで私を止めたのは
 
「こんな奴のために私の手が汚れるのは絶対に嫌だ」
という内なる声?だった。文言までハッキリ覚えている。
 
思うに、こういうギリギリの抑止力に個性が出るのかもしれない。
(めちゃエゴイスティックで、ゴールドっぽい私!)
 
他の家族が悲しむとか、犯罪者になるのは怖いとか、
命を奪う権利など誰にもない、そんなことをする自分が許せないとか、
世間体がとか、いろいろな抑止力があると思うのだが、
まさか鍼灸師になるなんて夢にも思っていない当時の「私の手」へのプライドが、
結果的に私を守っていたことが、今になって面白いと思った。
 
そして面白いと思ったら、なんだかそのこと自体も笑えてきた。
つまり許せたのかもしれない。40年経ってようやく!
 
 
映画でどこまで表現されるかわからないけど、響は暴力に躊躇がない。
人の指も、手書きで小説を書く自分の指も折る(ネタバレだが)。
忖度皆無で言うべきことを言い、加減を知らず、思う通りに振る舞い、
最終的に自らの「天才」で相手を変容させる。
そりゃカッコイイわ。
 
誤解を恐れずに言えば、誰にでもバイオレンス衝動はあるだろう。
だって肉体を持って生きているのだから!
でもそれはできるだけ誰かを傷つけず自らも傷つけず発露されるべきと思うので、
この作品(原作)はそのカタルシスにつながるかもしれない
というか、私がそうだ。
 
平手友梨奈の名前も知らなかったが、欅坂46の動画を一度見たことがあり、
なんでこんな丸顔おかっぱの子ばかり見ちゃうの?と思ったけど、
それがセンターということか。
体幹が相当強い。確かに響にぴったりかも。
 
でも映画への期待は、あまりしないほうが良い気がする(笑)