「人を馬鹿にしてんのか!
」と、キレられたことが何度かあった(経緯は忘れたけど…) あ、近年にもあった…

ニコニコというよりニヤニヤに近く、気持ち悪がられた?
私の笑顔はあまり上品じゃない?とか、少なくとも感じが良くないのだと思った。
だから無意識のうちに表情を変えないようにしてきたのかもしれない。
いつしかポーカーフェイスとかクールとか言われるようになると、むしろホッとしていた。
確か小学校4年生の時、通信簿に
「能面のような顔、なんとかならないのか。」
と書かれた

この先生は、私が「答えがわかっているのに手を挙げなかった」という理由で廊下に立たせたり、理不尽なことを沢山されて親も怒っていた。今だったらパワハラ扱いだろう。
ちなみに私が手を挙げなかったのは、他に挙げてる人が沢山いたので自分が挙手する必要を感じなかったのと、単に面倒だったから。そんなの自由意志じゃん、と思っていた。
それが先生にはムカついたらしく、喧嘩を売られたわけだ。
でも、なにぶん私は5歳くらいで「大人」を完全に見限っていたので、
「まったくこの先生、終わってるわ…
」と完全スルーっていうか無視した。10歳の対応として、適切なのかどうなのかはわからない。
…こういうことが沢山あった。
更に遡って小学校1年で担任にやはり理不尽な扱いを受けたとき、母は抗議のために面談に行ったのだが、丸め込まれて帰ってきて意味がなく、私はほとほとうんざりした

原体験は更に遡るのだが…。
だから「先生」という権威は、不公平なことを押し付けたり(逆に不公平に依怙贔屓されたこともある)喧嘩を売ってくる存在であり、そんな時に守ってくれるような大人は誰もいない。。
思えば相当ニヒルな子どもだが、私にとって世界とはそういうものであり、
つまりはやはり大人を、っていうか世界を「馬鹿にして」いたわけだ…。
これが私がごく最近まで引きずっていた「権威との確執」の根っこである。
つまり、やっぱり根っこは自分なのだ。
そして冷えとりやオーラソーマをワークするようになり、インナーチャイルドをクリーニングしながら当然権威問題とも向き合うことになった。
書ききれることではないが、今確実に言えることは、
笑わない(口角アゲない)ほうが怖い! ということだ

今後の余生はアゲていこうと思いますっ!
最近で最も明るいニュース、STAP細胞を開発した小保方さんの女子力の高さ、可愛い笑顔とツヤツヤお肌に感動!

どんな権威や逆風にも負けずに、あの可愛さと信念を貫いた強さが素晴らしい

そうだよね~、幼い頃にそんなこんなで疲れた時に、ファンタとかバヤリースじゃなくて、酸っぱい「ポンジュース
」(100%モノがこれしかない時代だった…)を飲んだら、初期化っていうか超リフレッシュする感じは絶対した!(って、そういう問題じゃないとは思うけど^^;)
どんどんクリーニングして、そういうシンプルさを感じていればいい気がする。
そして世界は、宇宙は、すごいことになっていて、馬鹿にしてる場合じゃない!
