私はぼーっとした高校生だった。
公立高校の合唱部だが、2つ先輩に今をときめくマエストロの大野和士氏が、1つ先輩にやはり上岡敏之氏がいらしたという、奇跡のような環境だった

そのことの凄さと恵みに後年気づくことになるのだが、、
何せぼーっとした高校生だった。
そして、歌に酔わされていた。(酔っている、という自覚すらないほどぼーっとしていた)
人が合唱を好むのは、堂々と歌の世界に入ることができるからではないだろうか?
歌う人のお顔を見れば、わかると思う。
それはどこか、こっ恥ずかしい感じがする
陶酔している人を見るクサさ、みたいなものだ。だから私は大学では合唱はやらなかった。
最近よくわかったのだが、私は芸術に酔い酔わされるされることへの、憧れと羞恥がある。
三善晃の女声合唱曲の傑作、「三つの叙情」
これを何十年ぶりかで聴いて、思い出した。愕然とするくらい。
たとえば立原道造や堀辰雄などの、優しくたおやかで儚げで、そして極めて感傷的ながらどこか硬質な美しさを、好きか嫌いかといえば多分大好きなのだが、それが良いと認めることに何十年も勇気が必要な私だったのだ。おかしなことである。
無頼派を気取ってるほうが、楽だからだ。。
そしてぼーっとした女子高生の私は、歌だからこそ
「或る風に寄せて」
や
「ふるさとの夜に寄す」
に酔わされていた。その世界を生きてしまっていた。
合唱部で何があったとか、誰と誰がどうだったとか、当時の記憶が一切ないくらい(汗)
風信子、と書いてヒヤシンス。これをこの春は沢山いただいた。
ヒアシンス・ハウスを設計した建築家でもあり、風信子忌が立原のものだと知った。
「萱草に寄す」で
「僕はこの詩集がそれを読んだ人たちに忘れられた頃、不意に何ものともわからないしらべとなって、たしかめられず心の底でかすかにうたう奇跡をねがふ。そのとき、この歌のしらべが語るもの、それが誰のものであろうとも、ぼくのあこがれる歌の秘密なのだ。」(風信子)
と記したというこの詩人の芸術の罠にはまった自分が、今は快い。
美しいものは美しい。それをそのとおり表現できることの強さと美しさを、この春あるクライアントさんから受けとった。
感謝に堪えない

そして今はiPhoneアプリでも読める、立原道造なのであった。
