↓この「プラン75」
という映画をみたわけなんですけど、
私の思ってたのと違う〜〜😭😭
って書いたら、
「じゃあ、どんなふうに思ってたの?」
ときかれたので、
そのことを書いてみようと思います。
今は病気になったときに
本人告知がすすんでいて、
病気の進行具合なども
自分でわかるようになってきています。
が、ほんの数十年前までは
重篤な病気になると
本人には知らされないことが多かったんです。
死んでいくのは自分なのに
胃潰瘍だ
十二指腸潰瘍だ
などどいわれて、
家に帰りたくても帰れない
退院させてもらえない
治る治ると嘘をいわれて
ベットに寝かされ
よくわからないままに死んでいく。
そんな親戚のおじちゃんおばちゃんたちを
みてきているので
病気の治療や延命措置などについては
自分の望みを反映して欲しい
ということを
ずっと考えてきたのです。
そのことがあったので
自分でエンディングノートを作り、
セミナーを開催してきました。
コロナ禍があって
(みんなで集まることはできないなぁ)
と、セミナーをお休みしていたら
「健康太極拳をやりたい!」
という方が増えてきたために、
こちらの活動を続ける時間が取れなくなってきて
今は、この【ジブツタセミナー】をお休みしています。
セミナーはお休みしていても
生きることと
死ぬことは
生き物にとっては大命題です。
私の中には
死ぬということについては
自分の意思を尊重して欲しい
ということと同時に
もう体は死ぬ方向に向かっているのだから
できる限り痛みをとって
安らかに死んでいく方向に向かわせて欲しい
という願いが強くあったのです。
〈死ぬべき〉時期に生かされてしまったために
その後で認知症を発症してしまって
施設で死ぬことになった方もみてきています。
なので重ねて言いますが、
体が
「そろそろ終わりですよ〜」
と伝えてきたら、
なるべく痛みや苦しみを取ってもらって
静かに死に移行していきたい
というのが
私の願いなんです。
私はもう、充分に生きた。
だから穏やかに死なせてほしい。
と思った時に、
その願いが叶えられたらいいなぁ。。。
と、そんな気持ちが強かったのです。
とりあえず、あと5年経ったら‥
などど自分でプランを立てて
それまでにやれることはすべてやっていく。
5年たって、まだまだ元気なら
あと3年後にしよう
とプランを変更する。
そうやって生きていけば、
なんだか無為に過ごしてしまいがちな
ぼんやりとした日々も
もう少し充実したものになるのではないか?
そして死ぬと決めた日には、
まだ生きているトモダチを呼んで
楽しくおしゃべりをして
手でも握ってもらって静かに旅立てる‥‥
そんな理想的な
というか、なんとも甘い気持ちで
考えていたのでした。
だが!
そうは問屋が卸さない
のが世の常なのでしょう。
みんなそう思ってるけど
そんなにうまくはいかないよ
っていうことなんでしょう。
辛いところだなぁ。。。😭😭😭
前回のblogで、
死ぬということに
他者を介在させてはいけない
と感じたって書いたんだけど、
私にはその大事なところが抜けていたんです。
映画のネタバレになりますが
この映画の中には
75歳以上の人に
プラン75について説明をする若者が出てきます。
説明にとどまらず、やさしくやんわりと
プラン75に向けて、
つまり〈さぁ死にましょう〉の方向に向けて
お年寄りを誘導していくのです。
また別の若者は
プラン75に加入したお年寄りに
死ぬ日までの間に電話で話し相手になってあげる
というサービスを担当しています。
毎日15分の、電話での話し相手。
それはとてもありがたく、やさしいことだけれど
〈死ぬって決めましたから〉
という人に向けてのサービスなのです。
それぞれの若者たちも
こんなことでいいのか?
という葛藤が生まれます。
みずみずしく、人間的な葛藤です。
プラン75で死にゆく人たちは
身寄りのない人が多いです。
当然、遺体の片付けの仕事があります。
最後に身につけている
時計や小銭、バッグなどをはずしていく作業です。
遺体から持ち物をはずしていくシーンは
小規模なホロコーストを連想させます。
この作業に従事しているフィリピンの女性にも
葛藤が生まれます。
彼らを見て、思ったのです。
死ぬということに
他者を介在させてはいけない
と‥‥。
生きていて苦しむのは
他者が死ぬということに
手を貸したのではないか?
という深い罪を感じたからです。
永六輔さんが死刑に反対していたのは、
〈死刑執行人のうちの誰かが押したボタンで
死刑囚が死ぬから〉
という理由でした。
そうだったのか‼️
死ぬということに
他者を介在させてはいけない
からだったのか!
と、あらためて腑に落ちました。
イジメが
殺人が
戦争が
なぜいけないのか?という問いには
死ぬということに
他者を介在させてはいけない
からだと言えば納得できます。
死ぬのは命が尽きる時です。
誰かに死ねと言われたり
誰かに車でぶつかってこられたり
誰かの落とした爆弾が直撃したり
して、死にたくはないと心から思います。
死ぬということに
他者を介在させてはいけない
という不文律を固辞したままで
これからの高齢化社会の問題を
考えていかなければならないのでしょう。
あぁ、なんとむずかしいことか!
痛みをとってもらって
自然に死ねる
が私にとっては理想です。
不文律をおかすことなく
少しでも、それに近づいていく
世界になってくれますように💕💕
