〈病気と死の話〉をしなかったのに‥ |      生きる稽古 死ぬ稽古

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ー毎日が おけいこ日和ー
        

去年の8月、

↓のように、中学時代の部活仲間と

久しぶりに楽しい時間を過ごしました。


みんな、それなりに元気で
今を生きていて
楽しい時間を過ごしたのですよ。

ただ、この時に
男子のひとりが施設に入っている
という話をきいて、
それは
〈もう戻ってくることはない〉
というニュアンスの話だったので、
それだけは唯一、心配になる話だったのです。

年が明けた春ごろ
別の男子が意識不明である
というのを聞きました。
お正月に倒れて、そのまま意識が回復しない
ということらしいのです。

彼にはモデルをやっている
お人形さんのようにかわいいお孫さんがいて
今年の年賀状には
「孫、命」
と自筆で書いてありました。

私の父は
延命を望まず潔く死ぬタイプだろう
と思っていたのですが
「孫の成長をみていたい」
という気持ちが長生きを望む気持ちになりました。

なので、彼ももしかしたら
同じような気持ちではないか?
と思うと、とても残念でなりません。

そんな中、
施設に入った男子が亡くなった
というのをききました。

生前、いろんな悶着があったようで
家族もそっとしておいてほしいようだ
ということで
この彼の中学卒業後のことは皆目わからず
ケムリのように消えてしまいました。

こんなことが続いた夏の終わり、
また別の男子が倒れた話が舞い込んできました。
そして意識が戻らぬまま
数日前に亡くなってしまいました。

私は行けませんでしたが
お通夜に行ったトモダチによると
ヒトがごった返していて
ゆっくり遺影を見ることも叶わなかった
くらいだったそうです。

去年の夏から一年、
3人の男子が倒れたり亡くなったりしていて
〈病気と死の話〉をしてもしなくても
病気と死は訪れるのだなぁ
ということを実感しています。




ケムリのように消えてしまっても
ごった返す人々に見送られても
〈死〉は平等に訪れます。

私は今
泣くとか悲しむという感情よりも
中学の頃、
こんなことがあったなぁ
あんなことがあったなぁ
と、彼らとの思い出を反芻したりしています。

部活の思い出は
とてもたくさんあるからね。

私もいつか、そのうちに
そちらに行くわけなのだから
これらの思い出を忘れないようにして
向こうで話したいと思います。

合掌🙏