<はしたない>と感じること |      生きる稽古 死ぬ稽古

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ー毎日が おけいこ日和ー
        

旅の番組というと

何かを食べたり、お風呂に入ったり

部屋で職人が何か仕事をするのを見て

「おぉ!」なんて驚いたりするでしょう。

それが嫌で、僕はあの番組(注:「遠くへ行きたい」のこと)の冒頭で

そういうことは一切しないと宣言したんです。

(永六輔「六輔の老い方」より)

 

別の本などでも

永さんは、ご自身がテレビに出演する条件として

「ものを食べない」

「裸にならない」

ということを挙げていました。

 

とても<恥ずかしいこと>だと語っていました。

 

私は、永さんのこの言葉がずっと心に残っているので、

今、テレビをつけて

もう、溢れるほどに

料理を紹介し、誰かがそれを食べ、

「う〜〜〜ん」と言っているのを見るにつけ

複雑な思いに駆られます。

 

いや、もっとはっきりいうと

「人前でモノを食べることに

何にも抵抗を感じない」

人ばかりになったんだな、ということに

ある種の鈍感さすら感じてしまいます。

 

 

<照れ>とか<恥じらい>とか<恥>というもの。

どんなところに、その感覚を持っているのか?

というのは、

人間の、ひとつの柱を問われる重要な要素だと思うのです。

 

これは人様のことではなくて

自分で自分の中に決めておくこと

というか、自分がどうしようもなく

ハズカシイと思うこと、

ハシタナイと感じること、

それを大切にして、自分はしないように心がけるということ。

それはひとつの生き方のこだわりだと思うのです。

 

私は食べることが大好きなので、

気心の知れたトモダチと

食を共にすることはとても大事にしています。

 

でも公共の電波ではできないと思います。

トモダチ同士のオンラインまでが限界、かなニコニコ

 

そして、公共の電波ということでは、

もうひとつ、前々から感じていることがあります。

 

生理用ナプキンや尿もれパット、

それから頻尿のお薬などのCMが増えてきましたね。

そういうもののいくつかに、

私は<はしたなさ>を感じます。

 

女の人が正面を向いて「おしっこ」と口にすること

「尿もれ」や「チョビ漏れ」など、女性の口から出てくることを

<はしたない>と感じます。

 

最近では、エアリアルヨガ、空中ヨガのポーズで

パットがよれない、ということを宣伝しています。

エアリアルヨガって、すっごく気持ち良さそうで、

私はぜひ一度トライしてみたいと思っているのですが、

股を広げてぶら下がっているポーズで

パットがよれない、とうたうのは

コンセプトとして、とても<はしたない>と感じます。

 

https://www.youtube.com/watch?v=LOHl8FkmtvI

 

エアリアルヨガ、やってる人は腹が立たないのかな?

 

私はお上品な人間ではないし、

お行儀のいい人間でもない。

 

ガハハと大口を開けて大笑いし

あぐらをかいて座る庶民です。

 

でも、庶民には庶民なりの

<公共の電波>というものに対する感じ方があるんです。

 

こういうことって、

今までヒトと話し合ったことがないんですけど、

みなさんは、どんなふうに感じているんでしょうか?

ちょっときいてみたいなぁって思います。