あの声は、一体どこからきこえてくるのだろう? |      生きる稽古 死ぬ稽古

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ー毎日が おけいこ日和ー
        

 

年賀状を出しにいった郵便局で

駐車場のロック版をおろす

というポカをやらかしましてチーン

ちょっと時間をとられました。

 

ここの郵便局の駐車場は

奥のスペースは無料で停められるんですけど

手前のスペースは駐車券が必要で

なおかつ、その駐車券を局員にみせて

ハンコをもらわないと無料にはならない

という仕組みになっているようなんです。

 

そのことを知らない私は

今日初めて手前の駐車場に車を停めたために

こんなポカをやらかしたのでした。

 

こういう時のことを振り返ってみると

必ずといっていいほど

小さなシグナル、

警告の声のようなものがあるんです。

 

今回は、

<本当に、そこでいいのか?>

というような声でした。

 

でも、その声はとても小さく

<と言ってるような感じ>

といった曖昧模糊とした声なので

急いでいたり

焦っていたり

イライラしていたり

腹を立てていたり

そういうザワザワとした心持ちの時には

まったく耳に届きません。

 

コトが起こってしまってから

何か警告の声はなかっただろうかと

振り返ってみて

(あぁ、そういえばあの時…)

と、後で気がつくことが多いのです。

 

 

 

<家に戻れ>

と言われた気がして戻ってみると

大事な物を忘れていたり

 

<バス>

と言われた気がして

電車ではなくバスに乗ったら

電車が遅延していたり

 

暮らしの中の些細な出来事なんですけど

助けてもらっていることが多いのです。

 

あの声は、一体どこからきこえてくるのでしょう?

 

心穏やかにしていればきこえる声

心の面に波を立てず

内側に向かって耳をすませばきこえる声

 

この声に何度となく

私は救ってもらい

ミスをせずにすみ

厄介ごとから逃れてきたように思います。

 

あの声をもっときくことができるように

しかもそれは自分の利益のためではなく

自分との自分を取り巻く環境が

なるべくシンプルにスムーズに

そして心地よく動いていくように

そういう心の落ち着いたところに

向かっていけたら、と願います。

 

ゆっくりゆっくり

歩いていきます照れ

 

年の瀬ですね

みなさまも、どうぞ

心おだやかに義理チョコ