自分の過去記事を必死でさがしたら出てきた。
↓3年前だね。
画像はこの過去記事に譲るとして…
<うごかない鳥>として
なんだか有名になっちゃいましたが…
動くよ
生き物なんだから![]()
「なぁんだ、動くじゃん」
とか言いながら、去って行くのやめてくれない?![]()
今回、しずかちゃんは柵の端から端まで
飛んだんだよ![]()
飛ぶとこ、見ちゃったよ![]()
最初にハシビロコウを見た時、
偶然にも閉園間近でして
エサをもらう瞬間に立ち会うことができました。
飼育員さんに促されて
ゆっくりと小屋に戻ると
隅っこにしつらえられた小さな水浴び場みたいなところに
生きた魚が泳いでいました。
それをじぃぃぃっと見つめていたと思ったら
ものすごい早さでバシャッと水に顔をつっこんで
魚を捕獲して食べていたので
私はビックリ仰天したものでした。
そして今回、
またまたエサをもらえる時間に遭遇したわけです。
そうしましたら、今回は
その隅っこの水浴び場みたいなところではなくて
プラスチックの黄色いバケツの中に
死んだ魚が2匹、じっと君の前に置かれていました。
じぃぃぃぃっと、バケツの中を見ていたじっと君。
しばらくして、その魚をくわえましたが
くわえることに失敗して
魚は外に落っこちました。
また、しばらくバケツの中をみていたじっと君。
しばらくしてから、またバケツの中に頭をいれて
ようやく魚をくわえることができました。
外に出ちゃった魚には、もう興味がないようで
じっと君はゆっくりゆっくり、
ねぐらである藁のベッドに入っていきました。
しずかちゃんのバケツには
生きた魚が2匹、入っていました。
長〜〜〜〜〜〜〜〜い間、
しずかちゃんはバケツの中をみつめていました。
その長〜〜〜〜〜〜〜〜い時間
私はずっと見ていたわけですが
その光景を見ながら
だんだんと胸が苦しくなって来るのを感じていました。
バケツの中には
生きた魚が泳いでいます。
それをじっとみつめている鳥がいます。
もう、まもなく、
魚は<死の瞬間>をむかえるわけです。
でもそんなこととは関係なく
魚は<ただ泳いで>います。
鳥は<ただ見て>います。
ほんの少し未来には
終わってしまう命がある。
それでも、刹那の時が来るまで
命がなくなる側も
命を奪う側も
ただ、そのまま、生きています。
そのことのあたり前さと、自然さと、
それをみていることの胸苦しさと
なんだか全部いっしょくたにしながら
私はその時間を味わっていました。
長〜〜〜〜〜〜い時間の後、
一匹の魚に狙いを定めて頭を入れたのですが
しずかちゃんもまた、やはりくわえることに失敗して
魚はバケツの外に出てしまいました。
外に放り投げられた魚はビチビチとはねています。
そしてその後もまた、
長〜〜〜〜〜〜〜〜い間、
しずかちゃんはバケツの中をみつめていました。
私が見ていたのはここまででした。
閉園時間がせまり、
風も冷たくなってきたので
ここまで見て
私は帰りました。
外に出た魚は
食べられることもなく、
水のないところで命を終えたのでしょうか?
バケツの中の魚は
あの後、どれくらい長く生きていられたのでしょうか?
そして、そんなこともまた
しばらくは私の心に残っているだろうけれど
しばらくすれば、そのことはやがて
私の記憶からも葬り去られていくのかもしれません。
私が最初に見た時は、
名前もなく、ただのハシビロコウでした。
彼らは何年かたつうちに
名前を与えられたけれども、
でも、もしかしたら、だんだんと
<食べる>ことがヘタクソになっているのかもしれません。
私は勝手に胸を苦しくさせてはいたけれど、
<食べる食べられる>という残酷な営みが持つ
エネルギーのほとばしりのようなものは
この食事の時間には感じられませんでした。
元来<食>というのは
すさまじくエネルギッシュなものだと思います。
名前のない、ただのハシビロコウだった頃、
ものすごい瞬発力で
魚を捕獲していた
あれは<じっと君>だったのでしょうか?
それとも<しずかちゃん>だったのでしょうか?
飼育員さんが変わったからなのかな?
なんとなぁく、心配が残る食事風景でありました。
2014年には、↓こんな記事も書いてます。
https://ameblo.mom/pesomasami/entry-11873080695.html