4、5年くらい前から
夫の中で「クイーン」の再加熱があって
音源や動画などをさがしてきいているのは知っていました。
FBをながめていると
みなさんの高評価ばかりが目について
私たちも時間をつくってみにいこうよ!
ということになりました。
フレディ・マーキュリーという名前が
芸名だろうということの予想はついていましたが
インドのヒトだったというのは
映画を観る直前に仕入れた情報で
島国日本に住み続けている私には
その複雑さを理解するのは到底無理だろうと感じます。
両親はペルシャ系のインド人。
フレディの生まれはタンザニア。
8歳でインドはムンバイにある英国式の寄宿学校に。
17歳でタンザニアに戻るものの
革命によってインド人に多数の死傷者がでたため
イギリスに移り住むことになります。
そしてこの後からが映画に出て来るんだけれど
この時までに相当複雑な、
屈折した人生を歩いているということがよくわかります。
国っていうのは、なぜかお隣さん同士の仲がよろしくなく、
インドとパキスタンというのも長年、いがみ合ってきた国同士。
にもかかわらず、イギリスでは時々
「おい、パキ!パキ!」
と呼ばれるという、ここにも
フレディの中に何らかの影を落としていったんじゃないか?
という気がいたします。
自身の名前であるファルーク(ファーロク)をフレディとし、
名字であるバルサラをマーキュリーと改名したかったのは
なぜなのか?
彼自身は自分の性についてどのように感じていたのか?
本当はバイセクシャルだったのか?
ホモセクシャルだったのか?
この映画は
説明らしきことはなにもしない。
大仰な感情表現もない。
その何もない中に
彼の孤独だけがぽっかりと浮かび上がり
そして彼女であったメアリーに窓際に座ってもらい
手元の電気をつけたり消したりするという、そのシーンでは
説明なんかできるわけもない
彼のその孤独だけが浮き彫りになって
(イヤその孤独を前になすすべもない
メアリーのせつなさをも伴って)
実に物悲しくも美しいシーンとして
ただ、ただ印象に残ります。
簡単に理解などできるはずもなく
映画を見終わった後には
クイーンというバンドのすごさ、偉大さと
フレディ・マーキュリーという比類ない伝説のパフォーマンス
だけが残ります。
「ボヘミアン・ラプソディ」は、
なんといってもブライアン・メイのソロが最高だよね!!
それにしても…
彼がゲイであったこと
彼がエイズを患ってしまったこと
に対する当時のインタビューやバッシングの
暴力的なことといったら!
フレディというヒトは
<時代の捧げもの>的な役割を
おわされてしまったのではないかという
そんなふうにも思わせられてしまいます。
感想らしき感想も書けないまま
しばらくは
クイーンの動画をさがす日々になりそうです。
