ユキヤナギ |      生きる稽古 死ぬ稽古

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ー毎日が おけいこ日和ー
        

私たちの親世代というのは

だいたい、生まれたのが

昭和のヒトケタから敗戦(昭和20年)まで。

 

まぁ、その世代の方たちというのは

ともかくよく働いた。

働いてくれた。

 

その働き方の軸も<自分以外>にあって

幼い頃は、親のため

結婚すれば家のため

子どもができれば子どものため

と、何かのために働き続けた

そういうヒトたちだ。

 

母が亡くなった

その葬儀場の椅子に座っている時

(あぁ、一つの世代がいなくなっちゃった〜)

という大きな悲しみを感じたことを思い出す。

 

自分のオヤが、ということ以上に

私にとっては一つの世代の象徴みたいなヒトだった。

 

母はわりと長生きだったので

私のまわりにいた、あの時代の

最後のヒトだったのだ。

 

そんな母だったから

仕事をしている時には

自分の楽しみにふけることなどまったくなく

ただただ働いて働いた人生を送った。

 

「私はお花が大好きだから

仕事をやめたらお花を育てて暮らすんだ〜」

と言ってたのをきいたことがあるけれど

日々の暮らしに謀殺される母をみながら

(そんな日が来るんかいな)

と、懐疑的だった。

 

でも、仕事をやめた母は

家のまわりにあった

せまい、せま〜い地面を使って

美しい花を次々を咲かせていった。

 

よくよく考えたら北側の悪条件

そんなところに毎年見事なバラを咲かせていたのだ。

 

自転車置き場の端っこでは

ナスやキュウリを育てては

ぬか漬けして楽しんだりもしていた。

 

夏には玄関横に専用の垣根をつくって

テッセンの蔓をはわせた。

道行くヒトが目を留めて

「あんまりキレイだから

みとれてしまって…」

などと、母に話しかけたりしていた。

 

家のあちこちにも

一輪挿しを使った花が

センスよくいけられていて

年を感じさせないみずみずしいその感性に

驚かされたものだった。

 

私は帰省するたびに

バラとかテッセン

そして生け花の話題をふって

母の花作りを賞賛したものだった。

 

 

この季節、我が家のある団地では

ユキヤナギが盛りを過ぎようとしている。

去年のこの時期に

私たちはここに引越しをきたのだった。

 

小さな花が連なって咲くその様は

まさに柳につもる雪のようだ。

そのはかなげな、それでいて誇り高く

咲いているユキヤナギをみるにつけ

懐かしさとともに、どこか少しさみしさが心に宿る。

 

私の実家にも、

ユキヤナギが植えられていて

この季節にはやはり、

雪をかぶったように花を咲かせていた。

 

大輪のバラやテッセン

そして野菜たちの話に夢中で

取り残されたように

ユキヤナギに話が及ぶことはなかった。

 

(あんなにキレイな花が

うちの庭の隅にもあったのに…)

という思いが、さみしさにつながるのだろう。

 

ユキヤナギは決して

話題の中心になる花ではない。

きれいだなぁと思っても、

ただそれだけで、通り過ぎていってしまう

そんな花だ。

 

 

母と私とは

喧嘩もたくさんしたけれど

会話の多い母子だったと思う。

 

母が死んだ後も

(もっとこうしてあげればよかった)

という後悔は、ほとんど感じることはない。

 

でも、それでも…

ユキヤナギをみると、

ちょっと胸の奥がうずく。

 

とりこぼしてきたどこかに、

もっと美しい母の心が眠っていたのではないか?

私たち母娘が

大切に気持ちを通わせる何かがあったのではないか?

 

話題にしてこなかったユキヤナギのように

言葉にならない思いがあったのではないか?

 

きっとこれからも、

この季節になるたびに

ユキヤナギをみるたびに

同じことを思うのだろう。

 

いつか私が向こうにいった時に

「そういえば、庭の隅に植わっていた

あのユキヤナギ、キレイだったよねぇ」

って、話ができるのかもしれない。