「無記」と「捨置」ということ |      生きる稽古 死ぬ稽古

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ー毎日が おけいこ日和ー
        

新しく出す本の中で

私が藤田一照さんから教わったことを書きます。

 

輪廻転生があるかどうかを問われたブッダは

「無記」

といって返事をしてないのだそうです。

 

これを捨て置くと書いて

「捨置」

ともいうのだそうです。

 

 

このお話のくわしいことは

本が出てから読んでいただくとして…照れ

 

この「無記」と「捨置」ということをきいたとき、

これって、私たちフツーのヒトも、

こういうあり方を知っておく

自分の考え方の中に取り入れる

ということをしてもいいのではないかなぁ?

 

と思ったのです。

 

私たちの普段の暮らしの中でも、

 

それは、今ここで考えてもしかたがない

そのことの是非にとらわれるより、他にやることがある

答えそのものにとらわれない方がいい

 

というように、

必ずしも答えが必要ではない場合もあるのです。

 

答えられないのではなく、答えない。

 

自分でこれが、「無記」の状態なんだとわかったら

無理矢理に答えることは、誰のためにもならないですものね。

 

でも、

これを私たちの生活の中にいかそうとすると…

 

これは人間力が試されますね〜滝汗

その時の態度によっては

「無視」だと思われて

対立関係を生みかねません。

 

ですが、そこまで考えることができて

真の意味で

「無記」と「捨置」

ができたならば、

自分にとっても、相手にとっても

生きやすい、自然な関係性を

持つことができるのではないでしょうか?

 

「無記」と「捨置」

私は、おしゃかさまの

そのような<答えない答え>

というのがあるということを学べて

とってもよかったですニコニコ