マッキー先生から、考えさせられるようなメールがと届きました。
今まで、ジブツタでは、
「自分の死」ということを考えてきましたが、
「身内の死(藤田一照さんはこれを二人称の死と言います)」
についてです。
執着なく、身内をあちらの世界へ見送ることができること。
これも生きている者がしなくてはならないことの
重要な一つかもしれません。
マッキー先生のつぶやきは↓こちらです。
今日は療養型病院での日当直です。
またまた、問題が起こりました。
誤嚥性肺炎で入院されている89歳の男性。
おそらく認知症があり、施設入所中に肺炎を起こし、急性期病院へ。
回復するも施設に返せる状態ではなく、ここへ転じてこられたようです。
鼻から管を入れて栄養補給中。
意思疎通は不可。
腕からの点滴もしています。医学的には謎ですが…。
昼過ぎに呼吸状態が悪くなり、ご家族を呼びました。
この状態では今夜超えられるかどうか分からないと。
妻は考えたくない、今夜死ぬなんて受け入れられない。
人工呼吸器をつけてくれと。
意思疎通もできず、病院に預けられっぱなしで、日曜日でも、誰も会いにこない。
人工呼吸器をつけても、回復の見込みなく、そのまま、最期を迎えるだろうと思われる。
私もナースも、そっとしておいてあげたいけれど、家族が望むなら、対応せざるを得ない。
現在、遠方に住む息子様が、妻を説得中。
夫に依存している妻。
しかし、献身的に介護しているとは言い難い。
高齢なので、妻もしんどいなだと思うが、
自分の気がすまないからと延命を要求する姿に、嫌悪感が湧き上がってきます。
親子、兄弟姉妹、配偶者。
尊重し合い、思いやる関係は大事だけれど、依存は不幸の始まりだと思うのです。
最後の最期にその生き様が出ます。
自立した上での人間関係が必要ですよね。
自分の気持ちで相手を支配するのはやめて欲しい。
折しも、小林麻央さんの最期に世間が注目しています。
ご本人も、ご家族も、悔しい思い、悲しい思いはお持ちだろうけど、
これほど光に満ちた旅立ちはないのではないでしょうか?
ご家族と濃密な時間を過ごし、発信し、最期まで力を振り絞って生きた麻央さん。
もし、これが孤独な中での最後であったら、
これほどまで崇高な最期とは受け取られなかったのではないでしょうか?
人工呼吸器をつけることは可能です。
でも、そうした後、自分の持てる時間全てを患者さんに注ぐ覚悟はあるのだろうか?
状態が悪いのは昨日今日はことではありません。
何度か、命の危機があったような経過ですし、
そもそも、施設入所ということは、家族からも家屋からも切り離された人生。
この患者さんは本当に幸せなんだろうか?
孤独を抱えているのではないだろうか?
少なくとも、病院というシステムの中では孤独なはず。
私は嫌だと譲らない妻はこれから先、患者さんの孤独を癒すために全力投球するとは思えない。
私の勝手な想像ですが…。病院での孤独な時間をいたずらに引き延ばすのは、ダメな延命に思えて仕方ないです。
これを読まれて、
あなたはどのように感じられましたか?
「生きていてほしい」
と願うならば、
ご本人を孤独にさせないようにしてあげなければ。
死を見届ける
死を決定する
というのは、とても勇気のいる、覚悟のいることだと思います。
ツラく、悲しいことだと思います。
けれども、愛しているならば、
自分がやってあげなければ
自分が見届けてあげなければ
そのための勇気と覚悟を
持てる生き方ができるといいですね![]()
