どっちが正解でもない  ー「クローズアップ現代」ー” |      生きる稽古 死ぬ稽古

     生きる稽古 死ぬ稽古

ー毎日が おけいこ日和ー
        

太極拳のお稽古の後で、

NHKの「クローズアップ現代」という番組のことが

話題になりました。

 

自分の両親や、ご主人の両親の介護や看取りを経験された方もいらっしゃるので、

いろいろと考えさせられる番組だったようです。

 


 

昨日は、このような記事を投稿させていただいたのですが、

 

ここで書いている

「救急車を呼ぶというのは、救命、延命に全力をあげてもらうこと」

という今の制度に対して、

「はたして本当に、それが患者さん本人の望んでいることだろうか?」

と切り込んだ医療体制を取材しています。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=2XCiJFs-gXY&feature=share

 

心停止になり、救急車で病院に担ぎ込まれると、

救命措置で命が助かっても

脳に酸素が送られなかった時間が長かったりすることによって

脳がダメージを受けていることも多いのだそうです。

 

命は助かるけれども、

脳は以前の状態には戻らない

 

こういうことが起こるわけです。

 

その時に、医療側は、介護側は、

どのような選択をしたらいいのか?

 

<こたえ>のでない問いと向き合う

現代医療のあり方がよくわかる

貴重な番組でした。

 

私はこれをみていてね、

<生きたい>とか

<生きよう>とかいう意思や意欲というものは、

年齢や性別に関係なく、

身体が強いとか弱いとかにも関係なく、

ほんとうに個別でまったく違うものなのだ

ということが身にしみて感じられたのです。

 

そして

どっちが正解でもない

ということ。

 

<生死のはざま>に立った時、

「もうちょっと生きてみよう」と思うのか?

「いやもう、そろそろこのへんで」と思うのか?

 

それは

どっちが正解でもない

のですよね。

 

 

今の気持ちを(もちろん、後で変化してもいいので)

ジブツタノートを書いておきたいですね。

 

介護側の執着で、

「一日でも長く…」

と願うということは、ちょっと脇において、

 

患者さんご自身が、

「この先、なおる見込みがなくても、

だんだんと認知症になって、

意識がなくなっていく可能性が高くても、

それでも治療してもらいたい」

と希望することもあるのだということ。

 

それは私にとって衝撃的でした。

 

それからもう一つ、

社会の中で生きているということ。

 

選択肢が広がる

ということは、大変ありがたいことなのですが、

そこには、

高齢でベッドに寝たきりになっているご老人の数が増え続けていること

という日本における社会問題が背景になっています。

 

法改正や、医療制度の見直しは、

そういったことと無関係ではありません。

 

自分ひとりで生きている訳じゃない

 

そのことも同時に考えていきたいですね。