繕ってあれば、恥ずかしいことじゃないよね
」という、これは私と父親が二人でよく口にしていた台詞です

まさに、どっぷりと昭和な考え方

わたしは、針仕事はほとんどしませんが、
破れたモノを繕うことは時々します。
セミナーやお茶会でお会いしたことがあるヒトは、
私のこの布バックを見たことがありますよね?

これは、伊勢木綿の帆布バッグ。
着物でも洋服でも使えるように

と妹が誕生日にプレゼントしてくれたものです。
これをね~、ジブツタのセミナーの時などに、
使い倒しました。
肩がちぎれそうなほど、ジブツタノートを入れて持ち歩き、
あっちこっちと歩き回ったわけです。
そうしましたら、取っ手がボロボロになりまして…。
はい、繕いました


生成りのバイヤステープを購入し、
江戸時代の古布と合わせて補正したんです。
最初の写真もよく見てください。
バッグの底の方に、藍色の布がポッツリとついているでしょう?
ここも破れていたので繕いました。
この江戸時代の古布と生成りのバイヤスというのが、
実に相性がよくてですね、
手触りも気持ちよくて、
縫いながら、何度も触って、
その肌触りにうっとりしてしまいました。
手をかけちゃったら、愛着がわきますよね~

<もったいないは貧乏性>って、
最近どこかできいたのだよなぁ。
でも、これは<もったいないから>ではなくて、
<好きだから>使い続けたいの

もう、このバッグは帆布そのものの性が抜けているから、
この先何度も繕うことになりそうです。
そういえば以前、浅草で三人展をやった時に、
そのギャラリーでは、私たちの展示の隣りで
BOROの展示をやっていました。
BOROというのは、
ぼろ布を継ぎ当てし継ぎ当てして布団代の大きさにして、
家族みんなでその中で寝ていた
といわれる東北地方で使われていた布のことです。
国際的に、その評価が高くなって、
いまではBOROとアルファベットで書くのだそうです。
配色とかデザインとか、そんなことを考える余裕がなく、
有り合わせの布を縫い足し縫い足しして、
なんとか寒さをしのいでいたという寒村の生活。
そんな中で使われていたBORO布は、
時代を経て、ギャラリーのガラス越しに、
ぞくっとするエネルギーを放つ芸術品となっていた。
私の帆布バッグは芸術品にはしないし、ならないけれども、
愛着がある限り、これからも使い続けていきます

またセミナーなどではお目にかかると思います。
持ち主共々よろしくお願いいたします。