野村克也というヒト その2 |      生きる稽古 死ぬ稽古

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ー毎日が おけいこ日和ー
        

前回、この記事を書いてから、

野村克也というヒト

なんとなく、これだけでは物足りない感じがしたので、

あらためてwikiを読んでみた。

…読み応えがありました。

<清濁併せ持つ>という言葉があるけれど、

一言や二言では、とても語りきれない

業績や功績や、また部分的な醜聞や…

が、人生のあちこちにちりばめられている。

私はやっぱり<南海のノムラ>が好き。

それは変わらない。

極貧の育ちだったのですね~。

彼のお父さんは戦死したと言われていたのに、

実は道端の供え物の下記を食べて亡くなったそうで、

そうした生い立ちに劣等感や情けない思いを抱いていたとのこと。

小学校に一年生から働いていたそうです。

<南海のノムラ>の経歴で、すごい!と思ったのはこれらのこと↓

契約金0のテスト生として入団。

1年目は9試合で11打数無安打。

戦力外通告を受けるのだけれど、

一番手捕手→交通事故

二番手捕手→トレード

三番手捕手→ケガ

によって捕手不足となり残留。

これって、すごくないですか?

これは偶然なのかどうかわからないけれど、

こんなことがなければ、<南海のノムラ>のみならず、

現在の野村克也というヒトはありえなかったのですから…。

このままではレギュラーになれないと考えた野村は

砂を詰めた一升瓶やテニスボール、

握力計、鉄アレイなどを使って筋力を鍛え、

遠投で肩を強化した。


(色をつけているところは、wikiからの抜粋です)

チャンスに乗っかっているだけじゃなくって、

ちゃんと自己努力を欠かさないところが

<南海のノムラ>のすごいところ。

監督としては、やはりヤクルトの時代がすごいのだけれど、

このころのミーティングは質量ともにとんでもなかったようで、

監督がホワイトボードの前で講義をして、

それに追いつかない選手たちは、

ノートに必死でメモをとり、

部屋に戻ってから、そのノートをみて勉強する

という、学校の授業のような毎日だったそうです。

野球哲学、野球理論。

野球界、そしてスポーツ界のパイオニアだったのだなぁ

と、あらためて<南海のノムラ>のすごさを実感しました。


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