なぜでしょう。

子供のころから、人前では泣きません。

 


「泣く」という行為は、とても「卑怯」な手段に思えてしまうのです。

泣いている人にそれ以上責める人はいないでしょう。

つまり、「泣く」という行為によって、「これ以上責めないで」と言っているかのように捉えているのです。

しかし、怒られているということは、それに対価することをしていたからこそ、怒られているのではないか。

そう考え、それは甘んじて受ける行為なので、泣きません。


そんなひねくれた子供は、大きくなってからも、泣きません。


好きな人と別れるときも、泣きません。

泣いて事態が変わるのでしょうか。

いえ、もしかしたら、相手の気持ちは涙によって、多少は変化するのかもしれません。

しかし、その寸前まで持っていた相手の気持ちは、それまでの自分の行動によって、作られたモノです。

原因が取り除かれない限り、相手の気持ちはまた同じモノになるように思えます。


泣かない子供は、泣かない大人になり、いつしか「泣く」行為そのものがうまくできなくなりました。


そんなある日、「泣く」ことが「ストレス発散」につながることを知ります。

そんな彼女は、泣かない割には騙されやすいので、簡単に信じて、決行します。

 


独りになり、哀しい本や映画を鑑賞。


号泣。


すっきり。