さっき、花を買ってきました

 

週末に買った花は、

金曜にいきなり萎れて茶色くなってることが多いんです

 

それは

『毎週末、新しい花を買う→じゃあ俺らはお払い箱ってことねと拗ねる』のか

『本当に寿命』なのかよくわかりません

 

 

よその家の子に

え、いつの間にそんなに成長したの?(そんなに老いたの?)

って思うことがあるけど、それくらいいきなり萎れる

 

まぁ、成長や病気と同じで

気づいてないだけでじわじわ進行(変化)してるんだろうなー


 

それはともかく、

毎週、花屋を覗くのは楽しいですね^^

 

 

みなさま、ごきげんよう

 

 

 

わたしは「あの花とこの花を組み合わせて」というセンスがないので

ミニブーケを1つ選んで買い求めるんだけど

きょうは2つ買っちゃったの

 

どっちも好き→両方うちの子にしよう

 

あ、我が家にある花瓶は1つです(笑)

 

 

 

 

 

さてさて

 

NOBUKO先生の『いっぺん死んでみるWS』感想戦です(将棋じゃないけど

 

3時間はあっという間

 

死ぬって案外、怖くないことがわかったし

『楽しかったよー』『ありがとね』『またね~』って言いまくって死んでいきたいってわかったw
※いいと思ったら誰かに言いたいわたしらしい死だwww

 

 

あ、WSの内容は書きません

(興味があったら参加!)

 

「いっぺん死んでみる」はこちら

 

 

 

 

 

でね

 

そもそも

 

なぜ『いっぺん死んで』みようと思ったか(順不同)

たぶん、人生丸ごと、このWSに繋がってるよね

っていうか、そうとしか思えない

 

だって必ず死ぬんだもん

 


image

我が家のバジル、つやつやで綺麗
夫が種をまいてました

 

 

 

 

WS(講義を含む)のNOBUKO先生の言葉って

「それ考えたことあるぞ」

「子どものころから考えてきたなぁ」

がいっぱいあった

 

わたしは長い間、

みんな、当たり前にそれを考えてる

と思ってたみたい

 

 

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『必ず死んじゃうし

 もう緩い下り坂を歩んでいる年齢なのに

 いまさら健康に気を配るし

 なんならもっと健康になるつもり』

っていうのは面白いなと思いながら

さとう式リンパケアやよもぎ蒸しに行ってるんだけど

 

人間の本能って

『生きたい・健康でありたい』

『その生を感じたい』

なのだと根拠なく確信してるの(今のところ)

 

 

だからわざわざ

バンジージャンプなんてするんだろうし

 

小型ヨットやウィンドサーフィンや

パラグライダーやスカイダイビングやスキューバダイビング

登山、ロッククライミングなどなど

死を意識する瞬間が訪れるようなことをするんじゃないかと思う

 

 

生きてることが前提で

次の瞬間に死ぬ(かもしれない)なんて前提にしてないんじゃない?

 

 

 

 

『死んでもおかしくなかったよね』体験の数々は

当然ながら

わたしの死生観を変えた

 

死は遠くじゃなく、身近に在るんだ

 

死と生の境目ってほんの紙一重で

奇跡が連続して生きてるんだ

 

きょうも生きてる

いま生きてる

 

ありがとう

 

って

 

 

 

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そういえば、母についてときどき夫が言うのが

「かあちゃんはおまえに会いたいんだ。おまえに会えれば十分なんだ」

 

仕事ばっかりしてたわたしの代わりに

母がムスメ(母にとって唯一の孫)の世話をしてくれた時間が長かったし

ムスメのことならいくらでも褒めるから

「わたし一人よりも二人のほうが喜ぶだろう」

と思ってたんだけどね

 

夫の両親は亡くなっているんだけど

郷里が遠くて、頻繁に会うことはできなかった

 

だからわたしは

「近いんだから頻繁にいかなきゃ」

と、気負ってた部分があったかも

 

でも考えるほどには行かれない→_| ̄|○ 凹む

 

 

ただ、それも手放せつつある

 

だって

わたしがしあわせじゃなかったら

母が悲しむもん(母に聞いたわけではない)

 

 

 

 

要介護認定を受けることになった頃

「どーすんのよ」

「わたしフルタイム勤務ですけど」

「介護とか勘弁してよ」

と思うことがあった

 

一人っ子で心底よかったけど

わたし一人で全部やらなきゃいけないじゃん……って

 

 

要介護っていうのは

母の人生(の選択)をわたしが代行する部分がある

 

だけど基本、母の人生で

 

いくら母といえど、

自分じゃない人の人生を背負うのってしんどいよ

 

 

そんなとき、親しい友人が

“お父さんの介護を経験して学んだこと”として

「無理せずにできることをやればいいのよ」

っていろいろ具体的に教えてくれて

なんだか肩の荷が下りた気がした

(現実は全部ひとりでやるわけだけど、兄弟がいても意外と不仲だったりするそうなので)

 

 

そんなアドバイスのおかげで

いろいろ考えることができ

 

介護について決めてたことは

  • わたしの役目は「選ぶ・決める」「指示(依頼)」と、わたしが元気でいること
  • お金で解決できることはそうする

 

 

それと、心屋ぢんさんの初級セミナー・上級WSで

「お母さん」のモヤモヤをほどいて手放したら

あんなに重荷だった母が愛しくて愛しくて

 

要介護だろうがなんだろうが

母が少しでも楽しく長く生きていてくれたら

ってひたすら思う

 

わたしのそういう変化に

母は戸惑ってるかもしれないけど

心から

「長生きしてね」

「好きなだけ生きてね」

「っていうかずーっと元気でいてね」

「お母さん死んじゃったらヤダ」

って思ってるし、母に言ってる

 

そりゃ、自分の手で世話をしてないことに引け目がないわけじゃないけど

働かなくてもいい状況だとしても、そもそもお世話はできない(向いてない・下手)

 

 

 

 

ワークの20枚のカードで最後に残ったのは

「ムスメがおなかにいたころの記憶」でした

 

「ムスメへの想い」を改めて味わってます

 

ムスメ大好き

 

 

だからきっと母もわたしのこと大好きだよw

 

 

 

 

 

 

それと、自分でこのWSやりたいなって思いました

 

この

すがすがしさ

晴れやかな感覚

そして自分の価値観が矛盾しまくってるという事実

って貴重だと思う