極端なことを言えば,大部分の日本人のキリスト教の知見は,キリシタン,伴天連の時代からさほど変わっていません。大部分の日本人は,相変わらず1神教を諸悪の根元と決めつけ,多神教の1神教に対する優位性の主張しています。その根拠のない優位性による半知半解が広がっています。本日は,その第2段。
日本で広く敷衍している誤解に,”キリスト教は親不孝を奨励する宗教だ”というのがあります。こんなことを言われると,日本人キリスト教徒であっても,ギョっとします。これは,キリスト教の根本的戒律である十戒の第五の戒めが「あなたの父母を敬え」となっているからです。
日本でこのような誤解が敷衍した理由は,断章断義。言葉を変えて言うと,マスゴミ得意の切り取り編集のためです。”親不孝を奨励”しているとしてよく引用されるのが,以下の3か所
① マタイによる福音書10章34節
わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に,娘を母に,嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる
② ルカによる福音書12章53節
また父は子に,子は父に,母は娘に,娘は母に,しゅうとめは嫁に,嫁はしゅうとめに対立するであろう
③ ルカによる福音書14章25節
もし,だれかがわたしのもとに来るとしても,父,母,妻,子供,兄弟,姉妹を,更に自分の命であろうとも,これを憎まないなら,わたしの弟子ではありえない
上記の個所を,コンテクスト無視した断章断義だと,親不孝を奨励しているような印象を与えることを否定できません。
しかしながら,上記は,主イエスの弟子となるに際して求められる覚悟について述べられたものです。主イエスは,当時の既得権者と戦い,世直しのために,弟子を募られていました。既得権と戦い,世直しを行うためには,身内とも利害が衝突する覚悟が必要です。さらにイエスは,
// マタイによる福音書10章37 & 38節 //
わたしよりも父や母を愛する者は,わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も,わたしにふさわしくない。また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない
とも述べておられます。
以上を総合し,日本人になじみにやすい表現とすると
「世直しのために,自分の弟子になるからには,”孝”や”悌”よりも,自分に対する”忠”を最優先しろ」
と,至極,当然な事を言っておられるにすぎません。
ところが,日本では,世直しのために必要な上記の要件を,平時(全てのキリスト教徒)にも要求していると思い込んでいるようです。私には,日本社会に敷衍している,”キリスト教が親不孝を奨励する宗教だ”という反キリスト教に根差した断章断義による誤解に心を痛めています。