こんにちは。
こちらは、静岡市葵区 北沼上(きたぬまがみ)にて
古民家リラクセーションスペース
麻陽(あさひ)を主宰しております、紡愛司・しおざわまいこが綴っているブログです。
わたしが生まれる以前から、両親は年中、いさかいの絶えない関係でした。(写真は、小学2年生)
そして、わたしが小学2年生の時のこと。
母がいよいよ辛抱出来ず、わたしを学校まで迎えに来て、早退させた挙げ句、父と浮気相手のいる現場へ連れて乗り込んだのです![]()
『お母さんはお父さんと別れるけど、麻衣子はどちらの方へ行くのか、自分で決めなさい。』
そんなこと言われて、幼いとはいえ、わたしは自分の本心をぶちまけたのでした。
『わたしはお父さんもお母さんも、どっちも好きだから、どっちかを選ぶなんて出来ない!
親なのに、どうして家族みんなで仲良くしようって努力ができないのよ!』
悔しくて悲しくて、バカみたいに大声あげて
泣き叫んだのでした。
その時は、これが功を奏したのか?それで両親の離婚は阻止されました![]()
そんなことがあってから、母は我慢をして「こどものために」と、ムリを重ねていたと思います。
また、わたしの方は、この一件があってからは
「わたしがこの家族を繋ぎ止めておかなければ!わたしはその役目を担う子なんだ」
と、勝手に責任感を抱えていたようです。
逆に言えば、わたしさえしっかりしていれば、
家族はバラバラにはならない!
という自信もあったかも。
だから、あえて、その繋ぎ役のわたしが居ない時に
母が離婚成立させるという強行に出たのかも?
と思うと、わたしが何も出来なかったことが情けなくて、本当にくやしくて。
初めての広島旅行で、わたしはひどい喪失感や虚無感、あたるところのないやるせ無さに包まれてしまったのでした。
↑高校2年生の頃
母だけでなく、父に対しても
〝見捨てられた感〟を感じました。
わたしなりに、父を立てて、かばっていたつもりだったから、わたしの顔も見ずに家を出て行ったことに、かなりの腹立たしさを感じていました。
そのまま、わたしは父に会うことなく。
いまだに、父の行方はわからないままです。
今となってはもう、生きているのかさえわかりません。
↑生後半年の正月に、父に抱かれて撮影。
いろいろな経験をしながらも、自分も親になったことで、その後、多少なりとも父や母の気持ちを汲めるようにはなりましたが、フとしたときに
「両親のどちらからにも愛されてなかったんだ」
と感じることがありました。
その想いを抱えているのって
なんだか、常に自分のカラダの一部分が失われているような感覚でもありました。
そこを埋めたい。
愛されたい。
ただ、いつしか
あの、初めての広島での〝母との電話事件〟(?)の記憶は薄れていってて。
こんなふうに育ってきたので、
わたしはオトナになってからも〝知ってる〟人、場所、でなければ安心しにくくて、表面上は上手く対応しますが、本当の意味でのコミュニケーションをとることが苦手でした。
それが、「ここまで親切にしてくれる人がいるんだ!
」という夫と出会い、既に離婚していたとはいえ、夫の両親にも、それぞれから優しい扱いを受けて、少しずつ心がほどけていきました。
義父がいなくなったあとも、近所の方々には何かと気にかけていただき、とても嬉しくて、ついには「ここに住んで、ハナレをBook Caféにしたい!いずれは地域貢献がしたい!」と夢みるまでに想いが膨らんでいます。
今回の、人生2度目の広島旅行。
当初の目的は、吉川晃司さんのLIVEに行きたい!ということのみでした。
せっかく行くのなら、
それに気づいた時、(他にも行きたい神社さん候補があったのだけれど)まだ行ったことの無い、出雲大社さんに参拝したい
と思ったのでした。
イメージだけど、
これまでの人生で、絡んでしまった要らない糸のこじれ目を整理して、新たに整然と結び直していただくような…そんな感じです。
そのことについても、咲良さんには
たくさんお話聞いていただきました![]()
吉川さんのLIVEがきっかけで、
わたしの積年の想いも、キッパリと正すことが出来ました![]()
広島行きが叶って本当に良かった
感謝です![]()
親だって人の子。
自分が親になってみて初めてわかる、親の未熟な部分。
なぜ、そこが未熟になっているのか?
そこを理解しようとしてみるだけでも、愛おしい存在なんだと
と気付けます![]()
今日は、大忙しだった8/4の広島での
わたしの気付きについて、書きました。
最後までご覧いただきありがとうございました![]()

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