「愛」という言葉が今いちしっくり来ない理由。 | おのころ心平オフィシャルブログ「ココロとカラダの交差点」Powered by Ameba

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病とその人の背景に潜むココロとカラダの繋がりを、西洋・東洋医学・科学・物理など様々な角度より検証し病気の“本当の原因”を探ります。

おのころ心平です。



西洋スピリチュアルの

ヒーリングやセラピーでは、


ココロのカラダの

つながりの考察の際に


愛しましょう、

許しましょう、


に、いきつくことが多いです。


これはやはり、

考え方のベースに

キリスト教の聖書があるからで、


日本人の我々にとって、

「愛」という言葉が

いまいち、しっくりこないのは、


醸造された文化の違いの結果

と言えるかもしれません。


***


僕はコトバとは


「個と場」であると同時に、

「事場」であるとも考えています。


日本語の、

数々の「ありがとう」という場面が

ありがとう、の意味を創ってきて、


日本語の、
数々の「ごめんね」の場面が

ごめんね、の意味を創ってきた・・・。


「愛」と言って、

なんだか気恥ずかしいのは、



この言葉が、明治以前は

まだ今の「愛」という意味で

流通しておらず、


どちらかと言えば、

「性愛」を表す言葉で

使われていたからなんですって。


なるほどーー、


エロスという言葉が

プラトンの唱えた「愛」から離れて、

ちょっと卑猥に扱われているのと

似ていなくもない・・・。





いま使われている意味での

「愛」という言葉は、


明治以降、

聖書の中の言葉を

改めて翻訳する中で

リニューアルされて登場したそうで、


歴史としては、

たかだか150年くらいしかないのです。


日本語としてしっかりとは、

グラウンディングされていない感は

たしかに、ありますよね。


こういう言葉の例が示すように、


西洋スピリチュアルの

セラピーの考え方が、

最後まで腑に落ちてこないのにも

言葉や文化の積み重ねが

反映している場合があるのかもしれません。



日本流のカラダの見方で、

セラピーにパワーを!


「愛」という言葉が、ぴんとくるようになるカラダ学。

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2020年2月、

愛は、受け取ることからはじまる

 ~心臓から教えてもらった循環システムの秘密~   


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