痛みとは、ある種、インスピレーションである。 | おのころ心平オフィシャルブログ「ココロとカラダの交差点」Powered by Ameba

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病とその人の背景に潜むココロとカラダの繋がりを、西洋・東洋医学・科学・物理など様々な角度より検証し病気の“本当の原因”を探ります。

おのころ心平です。


6回に渡り、

感覚エラーによる痛みシリーズを

お送りしてきましたが、



「痛み」はおへそに集約される!?



感覚のエラーによる痛み、という発想。



「信頼に包まれ、安心することができていますか?」


「ふだん、いかに自分を狭いルールの上にしばっているか?」

「周囲からの助けを遮断して、ひとりでがんばりすぎていませんか?」



「毎日のちょっとした冒険を避けていないか?」

 


最後に、感覚についての

僕なりの考察をお送りします。


***


古代、自然のなかで生きていた

原始人の視力や聴力は、


現代人と比べれば、

はるかに高かったに違いありません。


遠くの獲物を見きわめる能力、

危険な獣が近づくとすぐに察知できる聴力や嗅覚。


アフリカにはいまも

視力が6・0もある部族がいるそうですが、
古代人もそれくらいはあったでしょう。


音も、低周波から高周波まで、

とても広い範囲で聞き分けられたはずです。



***



もしもタイムマシンがあって、

その原始人が突然、

現代に連れてこられたとしたらどうでしょう。


たとえば、東京のど真ん中に現れた

原始人は、どうなるでしょうか?

おそらく、


まぶしすぎて、

うるさすぎて、

臭すぎて、


連れてこられたその途端に

卒倒してしまうでしょう。


原始人にとって、

現代の都市空間は、

とても耐えられる環境ではありません。


***


・・・ということは、


反対に考えると、


私たち現代人は

それほどに騒々しい環境に対して
じょうずに適応しているのだ、

と言えます。


五感が衰えているのではない、

人間が弱くなっているのでもない。


視覚や聴覚、嗅覚の範囲を狭めて、

いまの生活環境でもなんとかやっていけるように

チューニングしているということなのです。


***


 

すべての感覚が全開となってしまうと、

この世界はとても生きにくくなります。



だから、痛みは、行きすぎる感覚に

ブレーキをかけているとも言えるのです。



私たちのカラダには、

自分が把握している何倍もの世界
と共鳴できる力が備わっていますが、

ふだんは環境に適応して

感じられる範囲でおさえています。


痛みは、その感覚が

当てもなく広がってしまわないように

私たちを存在の枠に戻してくれる

接ぎ木の役割を

果たしていると言えるでしょう。



けれどそれはまた、


「痛み」は、感覚世界の深遠さ、


痛みを感じるその向こう側に

広がる広大な世界の片鱗を

垣間みさせてくれる


インスピレーション感覚


という事実が見えてくるのです。



***


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