体育館生活。







壁のない部屋で、衣食住をみんなと共にする。


簡単なようで、難しい。


良い部分も悪い部分も、すべて見えてしまうし、自分たちも他人に見せてしまう。





あのゴーっていう体育館用のストーブの音。


津波の夢を見ているのか、うなされている叫び声。


どこからともなく聞こえてくるイビキの音。


トイレに行くのか、コツコツと歩く音。


薄暗い中、高い天井を見つめて眠れない日を何度経験したものか…。






当時、体育館にはお風呂がなかったので、私たちは、弟くんの知り合いの会社に設置されてある、


山奥の中にあるハウスの中の作業員用の入浴場を利用させてもらっていた。


透明のハウスの中に、風呂釜と沸かす機械とがあって、井戸から水を汲み上げて使用するというもの。


山奥にあるハウスだけど、透明(笑)


きっと、イノシシやタヌキに見られていたに違いない(笑)





食べるものは、最初は、朝昼晩とヤマザキの菓子パンだった。


3食甘い菓子パンは、結構きついものがあった。


一機に家族単位で、菓子パンを渡されるので、どんどん溜まっていった。


みんな、「ヤマザキ避難所パンまつり」と言って笑っていた(笑)





水道がしばらく機能しなかったため、体育館のトイレでは、「小は流さない」とルールが決められた。





3月末からは、仕事にも行きだした。


体育館から「いってきます」が始まった。


生きていくには、働かなければならない。


着替えは車の中でして、化粧はなしで、ドライヤーもないので、帽子で寝ぐせを隠しながら出勤した。


夫は会社から待機命令がでていたので、体育館で待機、


娘も、決まっていた専門学校から待機命令、息子も、津波で学校がなくなってしまったので待機命令。





そんな生活をしていても、屋根がある場所で寝れるというだけで幸せだった。


家族みんなといられるということだけで安心できた。





明日の11日で、5年。


あの日から比べたら、本当に普通に暮らせている。


だけど、あの頃のなんだろな?


意気込み?みたいなのは失せてしまったかもしれない。


夢とか、希望とか…、


そんなことを思うことすらなく、ただただ、毎日を生きている。





5年。




5年間、私は上手に生きてこれたかな。