私たちは、しばらく叔父さんの家にお世話になることを決めたが、反面、帰る準備も進めていた。


私たちの居場所は、やはり、あの体育館。


埼玉にいては、なんの情報もわからないし、やはり他人の家に居続けるのは、肩身が狭かった。


近所のスーパーなどにいき、買い物をしたが、カップラーメンなどの保存食には、地震の影響もあり、買い占め防止のため、おひとり様2個までなどという制限がなされていた。


なので、何日にも分けて夫とカップラーメンを買いに行った。


寒い体育館で温かいものが食べれるようにと、ポットも買った。


当時、関東地区では、節電のために停電が何時間おきずつあったので、ろうそくや水タンクが売れきれていた。


夫が一番先に買ったのが、ひげ剃り、子供たちが一番先に買ったのが、メガネ。


私が一番欲しかったのは、戻ったら絶対に入れなくなろうであるお風呂対策で、水がなくてもできるシャンプー(介護用)。」


とりあえず、思いつくままに毎日、毎日、自転車にのり、買い物に出かけた。


不便である体育館暮らしを、できるだけ快適に過ごせるようにと。


布団で寝れる喜び、お風呂に入れる喜び、ご飯を食べれる喜びが、どんなに当たり前のことじゃなかったのかと、あらためて痛感させられた。





そして、3月末。


私たちは、体育館へ戻ることを決意し、叔父さんの家に別れを告げた。


やはり、福島に向かうにつれ、高速道路はうねりをあげ、ひび割れて段差になり、


あの地震は嘘じゃなかったのだと思い知らされた。





いわき市についたと同時に、市役所へ行った。


そう、40歳未満にだけもらえる「ヨウソ剤」をもらいに行った。


子供たちと自分たちの身を守るであろうものだから。


そして、水道が止まっているであろうから、水汲みに水道局に行った。


水タンクはなんとか確保できたので、水道局の外に設置してある何個かの水道から水を汲んだ。


準備万端で、これからの「居場所」になるであろう体育館に向かった。





体育館に着くと、避難していなかった人たちに、「おかえり」と迎えられた。


なぜだか、ホっとした。


ここがこれからの私たちの「居場所」。


ただいま。


体育館。







↑ひび割れて段差になっている高速道路。






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震災から5年目とう節目。


少しずつ思い出しながら、書いていこうと思った…。


来月の11日まで。



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