恐怖におののいている場合ではないと我に返り、
どうにかしないといけないと思い、少し戻ったところに夫の弟が板前をしているお店があったので、
助けを求めて、そこへ急いで向かった。
「息子の行方がわからないの。どうしよう」
夫の弟がすぐさま車を出し、我が家の方へ1人で向かった。
「俺、見てくるから、ねーちゃんはここにいて」
とても弟が頼もしく見えた。夫がどこにいるかもわからない今、弟だけが頼りだった。
大きな余震で揺れる車の中で、ひたすら弟を待った。
ラジオから聞こえてくる津波の高さは、もう想像できないくらいの高さになっていた。
不安で押しつぶされそうになっていると、車の窓ガラスをたたく音。
すぐさま振り返ると、なんと、夫だった。
この時ほど、居場所を教えていないのに、夫婦の直感なのだろうか、
奇跡がおきて出会えるんだなと思った。
夫に、娘の安否の確認がとれたのと、まだ息子の安否の確認がとれなくて、
今、弟くんが1人で見にいってくれていることを告げた。
そして、すぐに我が家に向かうのかと思えば、そうではなくて。
「ちょっと待ってろ。ガソリン満タンにしてくるから。」
こんなときにって内心思っていたものの、この判断が後々役に立った。
戻ってきた夫と我が家に向かった。
渋滞にあって、なかなか前に進めない。
すると、見知らぬ番号で携帯電話が鳴った。
恐る恐るでてみると、息子だった。
一緒に遊んでいた友達の携帯電話を借りて、何回も何回も鳴らし続けていたそうで、
やっとのこと繋がったとのことだった。
この時思ったのは、よく親の携帯番号を覚えていたなと関心すら覚えた。
でももし、親の携帯番号など覚えていなかったら、安否の確認も居場所もわからなかったので、
そう思うとゾッとした。
「今、どこ?」
「○○荘にいる」
○○荘とは、高台にある老人ホームだった。
一先ず安心した。生きているし、高台に避難しているのなら大丈夫だ。
私と夫はその場所へ車を走らせた。
でも、渋滞が続いていたので、私は車を降りてその場所まで全力で走った。
顔を見るまでは安心できなかったからだ。
坂道を走ってあがっていると、泣き叫んで歩いてくる中年の女性がいた。
「家が…、家が…、家が…」と泣き叫んでいた。
きっと、津波で家が流されたのだと思ったが、声をかける余裕はなかった。
老人ホームに着くと、たくさんの人が避難していた。
知り合いの顔が見えると、お互い無事を喜んだ。皆、泣いていたが私は、なぜか涙一つも出なかった。
なかなか会えない息子。
「すみません、うちの息子、見ませんでしたか」と、すれ違う人、すれ違う人に血相を変えて声をかけた。
すると、奥から息子の顔が見えた。
この時ほど、体全体の力が抜けたことはなかったような気がする。
思わず抱きしめた。本当に生きているのかを、自分の肌で感じたかったからだ。
「よかった…」
少し経ってから夫もやってきた。三人で無事を確認した。
そして、高台から下を眺めた。
明らかに我が家のある場所には、波がかかっている。
まだ津波もきている様子だ。
夫は山をつたい、我が家の確認をしてきたいというので、合流した弟くんと私と息子は一足早く、
弟くんのお店に向かった。
お店に着くと、娘に電話を何回もかけた。
すると何回目かで繋がり、今、自分たちがどこにいるかを告げ、娘に来るように指示をした。
幸い娘は、納車したばかりの車に乗っていたらしく移動には困らなかった。
そして1時間ほど経った頃、娘がやってきた。
娘の顔を見ると、はやり体全身の力が抜けた。
やっと会えたという喜びでいっぱいだった。
夫も何時間後に帰ってきた。
「ないな、我が家」とポツリと言った。
薄暗くなってきて、ちゃんと確認はとれなかったものの、我が家はもうないと確信できたと言う。
私はなぜか、家がないということに無関心だった。
家族皆が生きてくれていたことだけで、私は満足だったのだ。
そして、弟くんのお店に泊まらせていただけることになり、
そこで一夜を明かし、早朝に我が家の確認に行こうということになった。
ありがたいことに、お店のオーナーがお店の残りもので食事をさせてくれたり、
布団をもってきてくれたり、携帯電話の充電器をもってきたりしてくれ、
何不自由なく、一夜をすごすことができた。
だが、大きな余震で眠ることなく朝を迎えた。
↑当日の朝の様子。瓦礫が散乱していて、歩くこともままらなかった。
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震災から5年目とう節目。
少しずつ思い出しながら、書いていこうと思った…。
来月の11日まで。
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