夏休みに入った。
ふと福岡で子育てしていた時のことを思い出す。
子供が小学生の頃。
ほんわかしたママと、その子たち2人が遊びにきた。
ご主人はアメリカ人で、
可愛いハーフの男の子と女の子。
上にお兄ちゃんもいる。

娘と同級生の男の子は、天真爛漫、じっとしてなくて、

何でも手にとって確かめる照れ
人見知りせずオープンマインド、可愛い笑顔で質問してきたり、

まさに癒しの存在。
人の話を理解するのに少し時間がかかるとのことで、特別学級だった。

妹はBarbie人形みたいに可愛くて、おませさんでちょっと勝気な歌が好きな子照れ
お兄ちゃんとは対照的で、母親以外の大人にはなかなか心を開かず、

習い事も先生と上手くいかないので続かないという。

上のお兄ちゃんは不登校。
パソコンやゲームが得意で、やり過ぎを見かねて親がパスワードを変えても簡単に解除してしまうびっくり

三人三様、子育て大変だろうなぁと思いながら、

仲良くなればなるほど、

ママは子ども達を決して問題児とか、障害があるとか、特別手がかかるとは思わず、個性だと思って、先生とよくコミュニケーションを取りながら、

大らかに育てているのが分かった。

他人に迷惑をかけてはいけないからいい子にして欲しい


子供なら素直に言うことを聞いてほしい


もちろんそんなことは考えていたけど、
過ぎる行動には、あくまで落ち着いて丁寧に何度も話して聞かせていた。

なんかふとそんなことを思い出し、自分の子育てを考える。

難産だったこともあり、
看護師さんからは

「生まれる時に手をかけた子供は、そのあとはあまり手がかからないんですよ。

子育てはプラマイゼロですから。」

と励まされ、以後、そういうものだと思い込んで子育てをすることになる。

つい最近まで、手があまりかからない子だと思っていたけど、
色々なところで子育ての苦労話を聞くうちに
あれ、うちも同じ!と気づく(笑)
それなりに手がかかっていたようだ笑い泣き

なのに、私が子育てを大変とか、
手がかかると思わなかったのはなぜだろう。

子育てはプラマイゼロ、
産む時に苦労したから
あとは楽だと、完全に思い込んでたことで、
実際は大変な状態も、普通、もしくは楽なほうだと捉えていたからだろうか。

先のママも、悩みすぎない(いや、悩む暇がないのか)
安定した人だった。

ということは
大人の見方次第で、
子育てに対する感じ方、
捉え方が変わるということだろうか。

そして、
子供が子供らしいってどういうことなんだろう。

大人が大人らしいって?

どこまでが子供でどこからが大人なんだろう。


子供のなかには大人の部分もあるし、
大人のなかには子供の部分もある。

社会的にはそれなりの年齢になっても
空気を読まず自分の思い通りにする人もいる。

私の場合、
子供は可愛く見えるし、
子供への期待値は高くない。

が、
大人には期待値がグッと高くなってしまう。

理解を超え過ぎて、かつ、離れられない距離をキープする必要がある時は、

敵とすら思うこともある。

ただ、
どんな大人も

実は

子供のまんまで

大人らしさがあと付けされただけだと考えたら。

違和感が多少減って、楽に思えるようになるのかな。

自分が決めた子供らしさとか
大人らしさとか
その線引きとか

自分の尺度が
実はズレてるのかもしれない。

そんな気持ちで、過ごしてみたらどうなるだろう。。。
 

 

夜、夫と所用を済ませる為に少しだけ外出。

宿泊施設や飲食店の前を通ると、やはり人が少ない。

大丈夫かなぁと思いながら、通り過ぎたお店から明るい声。

カウンターメインの狭いお店。

20代位の男女が20人ほどカウンターにぎっしり肩が触れ合う距離。

お互い対面でも大きな声で話して盛り上がっている。

カウンターの内外には何の対策もなく、マスクをつけない若い店主も

多いに話して盛り上がっている。

久しぶりに、コロナ前の日常が目の前に広がった。

夫と、やりよるねぇと言って、帰路を急いだ。

 

当たり前だった日常を取り戻したい気持ちは誰にでもある。

何を見つめて、何を見つけて、何を選ぶのか

大切な家族を守るための選択肢はおのずと決まってくる。

 

 

 

 

暑中お見舞い申し上げます花火

 

澄み渡る夏の自然からエネルギーをもらって

心も体も健やかでありますように。

 

2020年夏