もうすぐ、子供の3者面談。
志望校、志望学部はざっくり決まっているけど、
本当にそれでいいのか悩むお年頃。
一貫校でもあるので
進路を決めるために必要な自己分析シートなどを配布してくれている。
振り返ると、私の時代は(出身地は)
先生と言われるもの(学校の先生、議員の先生、お医者さんの先生)の
ステータスが高く、
特に公務員は男女の賃金差や待遇差が無いということで
親が喜ぶ職業ナンバーワンだった。
今や学校の先生は、ブラックということで、志望者が少なくなっている。
また、緒方洪庵先生の時代では、(遡り過ぎ?)
医者というのは、貧しい人でも目指せて、荒くれ者も沢山いたとか。
今は医者を目指す人は医者の家に生まれるのが定番だけど、
時代によって変わっていく。
私もそれなりに社会経験を重ねて、
交友関係や仕事関係で色々な人と出会ったり、
様々な仕事をする中で人間観察をしていると、
言葉で過不足なく説明したり、的確に表現したり、寄り添ったり、
柔軟に考えて、
自分の思いで突っ走るよりも前に、
周りとのズレを適度に修正しながら、自分に確実に寄せていく人がいる。
話が分かる上司、できる人、というのがそれだ。
人間性が豊かといえばいいのか。
それを形作るに必要な環境も、
とても大切なものだと思う。
つまり、何を大切にして学び続けているか。
人間関係から教えられることもあれば、知識からもある。
個人的には、その両方からバランスよく学んでいる人は
考える葦というか、とても耐久力があるというか
中庸というか、周りを安心させ、信頼を得る存在のような気がする。
進路決定は、自分の核を作る環境のひとつを決めること。
自分のしたいこと、わくわくすること、大好きなこと、
得意なこと、ずっとやってても全く苦にならないこと、
常によりよくしたいと思えること、
そんなことをベースに、
素敵な人、書物など、沢山めぐりあえるような環境に進んでくれればと願う。
ここ数年を振り返ると、
割と色々なことを経験したけど
どれも無駄になっていない。
その時は、やだなぁと思ったり、
こんな些細なことだけどと思っていたことも、
場所や時勢が変わると、あの時ディスられてもメゲズにやっててよかった!(笑)
と思えることが増えてる。
(特に、コロナ禍での仕事ではおそろしく生かされていることを実感中)
当時、教えてくれた人は、
後ろ向きの権化みたいな顔も声も鬼瓦みたいな人だったり(笑)、
すごくにこやかでハイスペックな方だけど、上層部とぶつかって会社をやめたり。
そういう個性的な人がいる企業、組織は、どれくらいの意識やモチベーションで
経営されているかも、なんとなくわかるようになってきた。
でも、決してそういう人たちがいけないということではない。
むしろ、どんな時代の変化にも柔軟に対応していく会社のトップは、
そんなぶつかってくるような人材を欲しがり、伸ばして、味方につけていくのだ。
徳川時代から脈々と続く、穏便に済ませる国民性は
能力が仮になくても守られる術があった。
でも、この令和、特にコロナ禍では、一度首から上を外して見回して
洗って時代に合うようにセットしていく必要があると思う。
と横にそれたが、
「教えていただいたことを必ず次に生かしたいと思います。」
そこを去る時に、優等生のような言葉を私はつい言ってしまったけど、
現実になるんだなぁ。
なんでもやってて損はないというか、いつかどこかで生かされる。
子供の進路をきっかけに
そんなことを思う今日この頃。
