受験シーズン真っ最中。
特に大学受験は、親にとっては一大事。
子育ての真価が問われるかのようなイベントになっている気がする。
周りでも御多聞に漏れず、様々なドラマが繰り広げられている。
分かっていてもつい口出ししてしまうとか、もっとこう接していれば良かった、とか、試験当日、意味不明の励ましをしてしまったとか(笑)
我が家は大学受験はまだなのだけど、話を聞けば聞くほど、ウ~~ン、何か知ってる。
似てる。通ってきてる。何で?デジャブ?
親として根気強く見守り続ける忍耐とか、選択肢は信じて待つことしか残されていないっていうことを、既に何度も何度も、それはそれは本当に嫌になるほど(笑)、何度も学ばせてもらっていたのだ。
受験ではなく、12年間の娘のテニス生活を通して。
親が不安になれば子供も不安になる。
親が大丈夫、いつか何とかなるさ〜と思えば、子供も伸び伸び動いてどんどん何かを得ていく。
恵まれたフィジカルに、ノミの心臓だった娘。
テニス生活12年かけてようやくノミから脱皮できた時期と、私自身の受け止め方が変わった時期が重なる。
それは先日行った練習試合で気づかされた。
久しぶりに、下の年齢の子達と会場が同じで、可愛い可愛いジュニア達が一生懸命試合をしていた。
かたずをのんで見守る親。
謙遜し合う親同士の会話。
懐かしいなぁと思い出した。
試合が終わると、まぁまぁよかよか~みたいな感じでニコニコ笑って出迎える親。
「どうしてそんなにミスばかりするの?」と嘆く親。
娘よごめん、かつでは間違いなく後者だった私![]()
理由は簡単。
ミスなくやれる子をゴールにし過ぎて、今、最高にがんばっていている素晴らしい我が子の存在を忘れてるのだ。
ゴールまでに足りないことが、親には沢山見えすぎるから、あんまり見たらいかんのに、つい見てしまう、比べてしまう。
ザ・黒歴史。そんな時期があったあった~~~苦笑
そんな自分が変わった後天的な理由は2つ。
1つは心と体について10年以上学び続けられたこと。
もう1つは、にもかかわらず健康を失ったこと。
相反するものかもしれないけど、当たり前のことが体感として深く、ありがたく幸せに感じられるようになったことは大きいかもしれない。
先天的な理由もいくつかある。
20代で両親を亡くしたこと。
出産で三途の河を渡りかけたこと。
娘が小学校低学年の時に難病で入院したこと。
親という絶対守護神的存在を亡くす経験で人生観が大きく変わり。
「出産のフルコース(普通分娩から緊急帝王切開)を体験したお母さんは、子供がその苦労を知ってるから楽に育てられますよ。子育てはプラマイゼロ。みんな同じだから大丈夫♫」
看護師さんがかけてくれた優しい言葉。
(産みと産後のハードさはMaxだったけれど、その言葉通り、あまり手がかからない子だった
)
娘が退院して初めて家でご飯を食べられた時の幸福感。
オムライスを嬉しそうに頬張り合う昼間のリビング。
そう考えると、人生は捨てるとこないなー
でも何よりも、一番の強烈な体験と言えば、娘が1歳の誕生日に歩いたこと![]()
何をしなさいと言われなくても、親の力を借りなくてもいつの間にか自分で立てるのねーーーっ!
子供なんかじゃない、赤ちゃんでもない、大人になる気満々の大人に必ずなれる人なんだ!!!
頭をハンマーで殴られたような衝撃だった。
つかまっていた手を離し、自分の足で歩いた時の娘の何とも言えない誇らしくふくふくとした表情。
初めて見える新しい世界に少し戸惑いながらもワクワクしている娘。
沢山の時間をかけて初めて試合に勝てた時の表情。
勝った人だけが本部に持ち帰れる2つの試合球を嬉しそうに持って、軽やかに誇らしげに走ってくる。
その時の娘の表情と、黄色いボールの鮮やかさ。
闘ってくれた相手への敬意の気持ち、思いやる気持ち、感謝の気持ちも親として学ばせてもらえた。
決して器用なほうではないけど、いつか自分の力で生きていける人だと信じさせてくれるには充分過ぎた。
子育て集大成の一区切りが18歳だとしたら、私は数年早く、腹をくくって見守る強さを手に入れられたのかもしれない。
でも、子育てはプラマイゼロ。たまたま、こんな人生だったから、短い分、濃度が濃かっただけだ。
冷静に考えて、子供は、親の世代より間違いなく進化する。
そもそも、老いぼれた自分が、自分よりももっともっと必ず成長していく我が子を案じる必要があるんだろうか。
とはいえ、見舞いに行った時、帰る私の姿を病室の窓からいつまでも見送る母の姿も知っている。
親はいつまでたっても子供を案じる生き物。
命を持って最後まで沢山のことを教えてくれた母。
そんな存在なんて、この世の中で親以外にいるだろうか。
人は全てを与えられて生まれてくる。
たとえ足りないと感じたとしても、実は沢山与えられてる。
未来永劫、間違いなく豊かな人生を歩んでいけるのだ。
誰かの価値観に縛られたゴールを目指さない限り。
いらんもんは最初からいらんし、幸せになるしかない道を常に選べる。
幸せ自動運転。
子供がそう信じさせてくれたように、私も亡き両親に信じてもらえた。
誰かに見守られ信じられて生きられる幸せ。
誰かを見守り信じて生きられる幸せ。
この世に縁があって生まれてきた命がある限り、幸せの数も同数なはず。
今この瞬間の生き生きしている命より大切なものは他にない。
心と体のことを勉強させてもらった先生のblogは、今の雪の景色にピッタリだと思った。