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おはようございます(^_^)v

本日も岡本(らっきょ)のブログへお越し頂き感謝です。


昨日はすこぶる良いお天気。10月でこの気温?!

まだまだ半袖で1日中過ごしています。


さて日にちが開いてしまいましたが

先日尋ねた 昭和を求めて青梅行 第2弾

今回は赤塚 不二夫記念館お届け致します。

題してバカを演じきる天才


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赤塚不二夫さんといえば、皆様もご存知

「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」

「天才バカボン」「もーれつア太郎」
など

昭和を代表する天才ギャグ漫画家です。

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1935年生まれの赤塚少年が漫画家を志そうと決めたのは

終戦の翌年、満州から奈良県へ引き揚げ貸本屋で出会った

手塚治虫さんの「ロストワールド」というマンガが

きっかけでした。


6人兄弟の長男だった赤塚少年は引き揚げ当時まだ10歳。

憲兵をされてたお父様をソ連へ連行され、弟さんは

中国残留で別離、妹さんの病死、そして帰国直後に

生後6ヶ月の妹さんも病死で亡くされたとの事。


お母様を助けながらの その後の生活は

さぞや ご苦労が多かったことでしょう。


小学校6年の時に

手塚治虫先生の『ロスト・ワールド』に出会って

マンガ家になろうと決めて、

栄養失調になってもそれを貫いてきた

『赤塚不二夫の「これでいいのだ!!」人生相談』




それほどまでに 手塚漫画との出会いは赤塚少年に

夢と希望を与えるものだったのでしょうね!




その後、お父様は無事帰国され新潟に移り住みましたが

赤塚さんは中学卒業後 映画の看板屋に就職。

しかし漫画家への夢諦めきれず18歳で上京。

工場に勤めながら漫画家を目指し漫画雑誌への投稿

そして同志の友人らとの交流が始まるわけです。


そしてプロへの転向を勧められ、石森(石ノ森)章太郎

さんを手伝う形で東京豊島区のトキワ荘へ。

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再現した トキワ荘 赤塚さんの部屋より


そこには手塚治虫さん、石森章太郎さんはじめ

将来を有望視された漫画家達が集まる共同体でした。

皆が助け合い 合作で作品を発表するなど赤塚さんが

26歳で結婚されるまで、そこでの生活は続きました。


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トキワ荘での漫画家仲間達

ひとりで考え、ひとりで素晴らしい作品を

生み出す人なんてそんなにいやしないよ。

天才には必ずその天分を引き出す人間がいて、

そいつのほうがもっとずっと天才だったりするんだ

『赤塚不二夫の「これでいいのだ!!」人生相談』




記念館にも当時のトキワ荘の様子が再現されています。

6畳1間の狭い部屋で 執筆活動に勤しんでいた赤塚さん。

そして隣室に住む同じ漫画家仲間達。

炊事場やトイレ、風呂場は共用だったそう。


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トキワ荘 見取り図より



結婚の翌年27歳の時「おそ松くん」を少年サンデーに

「ひみつのアッコちゃん」をりぼんに連載を始め

一躍人気作家となります。



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あの「おそ松くん」に登場するイヤミ

シェーーーッ!ポーズ

これは 今も知らない人はいないくらい

浸透していますよね!



30歳の時フジオ・プロダクションを設立。

また私生活では、お父さんになっています。

「おそ松くん」のテレビアニメ化で更に人気を博し

32歳の時に「天才バカボン」を少年マガジンに発表。

天才ギャグ漫画家として不動の地位に。


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『天才バカボン』を描き出した時にもまず思った。

バカに真実を語らせようと。

そこからバカボンが生まれ、

バカボンのパパが生まれたんだ

『赤塚不二夫の「これでいいのだ!!」人生相談』より




この「天才バカボン」パパ役のモデルは、

赤塚さんの父親でいらっしゃったそうです。

幼い頃 厳格で憲兵隊も勤めてらしたお父様が、

敗戦 ソ連抑留生活から帰国されて一変した様を

ギャグで描いているのでしょうか。



バカボンのパパってさ、

別にラクして生きてるわけじゃないんだよ。

パパはパパなりに、どうすれば家族を幸せにできるか

どうすれば毎日を楽しく過ごせるかを考えながら

一生懸命ガンバってるわけ。

そのためには体ごとぶつかっていってる

『赤塚不二夫の「これでいいのだ!!」人生相談』より



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そして「天才バカボン」「ひみつのアッコちゃん」

「もーれつア太郎」もテレビアニメ化され

37歳の時「天才バカボン」で文藝春秋漫画賞を受賞、

また39歳の時には、彼の功績が讃えられ、

「週刊少年ジャンプ」にてギャグ漫画の登竜門

「赤塚賞」が設立されました。

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そして赤塚さんのギャグは漫画の世界だけに留まらず

ステージやテレビでも炸裂しました。

無名のタモリさんを 見出し芸能界へと推したのが

当時40歳だった赤塚不二夫さんその人だったという

お話はあまりにも有名です。

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アングラな雰囲気とギャグ(ダジャレと違う)で風刺する

独特な世界が、怪しげな危険地帯に映って見えました
、、、∑(゚Д゚;;

当時まだオボコイ青春時代真っ只中の私でしたから

無理もないですよね~(汗)


赤塚さんはステージで、テレビで ご自身の描いた

マンガの主人公そのままに おバカなギャグを

飛ばして観客を喜ばせてた

それはサービス精神からかと思ってたけど

そうじゃなかったと今になり知りました。


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ただバカっつったって、

ホントのパカじゃダメなんだからな。

知性とパイオニア精神にあふれた

バカになんなきゃいけないの


バカっていうのは自分がハダカになることなんだよ。

世の中のいろんな常識を無視して、

純粋な自分だけのものの見方や生き方を

押し通すことなんだよ。

だから、バカだからこそ語れる真実っていっぱいあるんだ

『赤塚不二夫の「これでいいのだ!!」人生相談』



凄い!

計算され尽くしたバカを演じていたんですね!


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51歳で人生2度目の結婚をされた頃には

アルコール依存症を発症されていたそう。

自宅で一緒に暮らす飼い猫 菊千代をこよなく愛し、

新妻と温かい家庭を築いていらした赤塚さん。

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赤塚さんの優しさが 滲み出ています。

記念館にも そんな赤塚さんと菊千代のお写真が

たくさん飾られていました。

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しかし赤塚さんは

67歳の時に脳内出血を起こし 一切の創作活動を休止。

翌年には妻の尽力によりココ青梅市に

青梅赤塚不二夫会館が設立されました。


しかし70歳の時ずっと看病を続けてきた最愛の妻が

先にクモ膜下出血で急逝。

その2年後、2008年8月2日

赤塚不二夫さんは肺炎のため東京の病院で

72歳の生涯を閉じました。



なにを落胆してるんだ。

バカだからこそ

真実を語れるんじゃないか!

『赤塚不二夫の「これでいいのだ!!」人生相談』



全てを「これでいいのだ」と受け入れ、

ギャグで笑い飛ばし 昭和を駆け抜けた

天才漫画家 赤塚不二夫さん。


その人生の一端を、こちら 青梅 赤塚不二夫記念館で

垣間見させてもらうことができました。


ただ途轍もないスケールでとても深くまで辿れなかった。

今、らっきょが勉強中の
「高齢者がどんな昭和を生きてきたのか?」
まだまだ興味は尽きません。

また、いつか覗きに行きたいなぁ~と思います。



最後になりましたが、来週の10月20日 (日) に

青梅 赤塚不二夫記念館の目の前、住吉神社にて

開催されるクラフトマーケットのご案内です

毎回、大盛況だそう。お近くの方はぜひ~!!

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青梅手づくりいっぱい市

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同時開催され音楽ライブも!
青梅青空音楽Live


このマーケットは毎月第3日曜日に開催される
東京青梅市でのクラフトマーケットだそう。

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開催場所 : 青梅住吉神社参道



本日も最後までお読み頂き、


どうもありがとうございました


皆様どうぞステキな連休をお過ごしください!


それでは~また。。



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