夫が転んで怪我をしました。
彼の名誉のために言っておくと
なんでもラン中に外国人観光客の子供が飛び出してきて
それを咄嗟に避けたらバランスを崩したらしい。
で、骨は折れていなかったものの現在
腕をつって生活しているんですよね。
怪我をした次の日に朝病院に行った夫、
思いの外早く終わって会社に行こうとして
「お昼どうしようかなあ」と。
その時点でまだ10時台だったので
家でお昼を食べるには早い。
お弁当作ろうか?
と言ったら、
うーん・・・と変な返事。
そして言ってくるのが
「今から作るの面倒でしょう」とか
「大変じゃない?」とか。
いや、私は別にどっちでもいいから
あなたがどうしたいかを言って、って言いました。
これ、うちの「夫あるある」なんですよ。
結局、本当のところどうなのさ、と聞くと
痛い腕で余分な荷物を持ちたくないというので
弁当は持っていきませんでした。
でも彼の中では
「せっかく作ってくれるって言ってるから悪いな」とか
そういう考えがあったんでしょうね。
だけど、こっちは本音でどうなのか知りたいから、
色々回りくどいこと言われるとイラっとしちゃうんですよね。
はよお前の考えを言え!って笑
まさにこれがいい例だったわけですけど
「先方の出方を見て自分がどうしたいかなかなか言わない」。
このコミュニケーションって日本特有のもののような気がします。
相手をおもんばかる、っていうのは確かに美しい。
相手がどうしたいかを遠慮なく言えるように
自分の意見を言わなかったり先に言わないように様子を見る、
というコミュニケーションは確かに世の中に存在するんだけど、
それはあくまで「本当にどっちでもいい」時に限りアリなんじゃないかなあと私は思っていて。
どうも日本では、なんだかその「おもんばかる」の解釈が
それをすると気が利いてるとか
それをすると感じがいいとか
そんなふうに解釈されて
そっち側から(つまり感じよく思われたいから)の考えで
自分の意見があってもそれを出さないようにする場合があるように思います。
かく言う私も、昔、独身の頃は
「いい子」を演出するために
例えばランチを決める時、
本当は自分の中でラーメン食べたい、って決まってるのに
相手に対して
「ランチ、なんにする?
うどん?蕎麦?あー、あとラーメンもいいよね?
私はどれでもいいよ!」
な〜んて言ってしまっていました。
今考えるともう本当に若気のなんとやら・・・
相手に「気が利いてる子」
「相手をおもんばかることのできるいい子」に見られたかったんですよねー要するに。
だけど私の本質は、自分がどうしたいかものすごくはっきりしてる人。
本当はラーメン食べたいと思ってるのに
相手が「じゃあうどんにしよう」と言うと
なんとなくもにゃっとする。
でもその現実作り出したの自分なんだよね・・・
これってすごーくよろしくないと
いまの私は思っています。
特に、私みたいに
「自分はこれがいい、こうしたい」というのがしっかりある人は
ホント絶対これやっちゃイカンと思ってます笑
抑えた気持ちって必ずどこかで不完全燃焼で変なガスを発生させるから。
くっさーい匂いがどこかから漏れて出ます・・・
人間関係を円滑にするのも大切なことではあるけど、
それよりも何よりも、
まず自分の望みを叶えてあげることが、
幸せな人生には何よりも大事だと思っている今日この頃です。
今朝の弁当。
傷んだ体にタンパク質補給と、がんばれの意をこめてステーキ弁当!
