いやーブログ投稿してみて管理ページ見て
今年初めてのブログだったんだねー。としみじみ。
しかしね、去年から今年にかけての気づきが
もう本当に本当に多くて
追いつけないほど。
で、それがいま溢れてきて書いているところもある。
で、前篇の続き。
私は、写真を撮るとき、「根っこ」の部分を大事にしてきたということを
前編で書いたんだけど。
これといろんなことが私の中で繋がってる感じがしていて。
ちょっと話は飛ぶけれども
農家の人、って身近にいます?
私は、森の写真を撮りに行くときに宿泊させてもらってる
農家民宿の冨田さんておじさんを知ってるんだけど。
冨田さんもう60代だよな。
行く時って大体一週間くらい行くのね。
そして毎日農作業をして帰ってくる冨田さんを見るんだけども
それはそれはかっこいいんですよ、本当まじで。
作業服とかもばっちしキマってる。
(本当に普通のおじさんだけど)
なんかね、輝いてる。
でね。
それが、例えば青山のファッションビルの中では
なんか色をなくしちゃうわけじゃない?
だけどそれは場が違うからだけなんだけど。
だって逆も然りだと思うの。
ハイブランドの服を畑で着ててもなんにもカッコよく映らないと思う。
ただ、それはたんに「場」が違うだけ。
でね。
最近の世の中って
なにかある一定のことやものだけが
「価値あるもの」と思われていることが多い気がして。
さっきのことでも、
どっちもそれにそぐわしい場がある、ってだけのことなんだけども
そうじゃなくて
なんかハイブランドの方だけが
素敵でかっこいいと思っている人が多い気がするの。
例えば、
農家と芸能人なら芸能人がいい、と思ってる、みたいな感じ。
でもね、その、自分の「場」にいたら
本当に誰でも、輝いているんだ、いるはずなんだ。
最近よくツイッターを見ているんだけども
その中で、誰かがいいねしたことで流れてくるツイートの中で
フォロワーが多いことがかっこいい、
価値がある、って思っている人がすごく多いように感じていて。
そして、フォロワーを増やすためのメソッドを売ってる人がいて。
こういう感じの文をこういう感じでこういう頻度で書くといいよ、みたいな。
で、そういう人の文章て、
「成功する人の特徴はすぐ行動する人です」
みたいな断定系が多いの。
なんかね、断定でものを言った方が、人ってそれについてくるらしいのね。
けど、その断定は
あくまでその人のこれまで生きてきた中での
その人に見えている「真実ぽいもの」でしかない。
だけど、いつしかそういうふうに断定で書かれたものを
多くの人が正解だと思ってしまう。
で、それはいろんなことに言えるんだけど
女性は目が大きくて顔が小さくて体が細いのが美しい、
みたいな刷り込みがすごくあると思う。
で、みんなその「美しいとされるもの」と自分を比較して
自分はダメだ、って思ったり
またはその「美しいとされるもの」に近づけるために
無理なダイエットしたりメイクしたり、画像加工したり。
これは一つの例だけれど、
そういう思い込みって
どんどん人の力をなくしていくと思う。
正解が一個しかない、っていう考え方だと思う。
それは、一部の人が多くの人を操る仕組みとしては
すごくうまく出来た仕組みになると思うけれど
個個人の力を奪うものだと思う。
私が写真やファッションコンサルタントや
歌でやりたかったことは
そして最近では宝石でやりたいことは
それぞれの人に
その人の素晴らしさを思い出してもらいたいからなんだ。
その人の感じることは一つも間違いではないし、
それはそれぞれに素晴らしい。
どう感じたっていいんだ。
正解、なんてないんだ。
だけど、みんな「あるはずと信じる自分の外の正解」を追い求めようとするから
おかしなことになってしまう。
全員がかっこいいはずなんだ。
全員には全員ぶんのそれぞれの場所があるはずなんだ。
それを思い出してほしい。
でも、いまの教育は、
どう感じるか、より何が正解か、っていうものになってしまっているから
みんな、「感じること」を伸ばす練習をしてきていない。
感じることができない、わからないから、その
自分の場、もわからないし
余計、何が正解なのか、って思ってしまうことになってるんだと思う。
もっともっと、
感じることをやってもらいたい、みんなに。
今日の昼ごはんに何を食べるかを真剣に考えることだっていい。
これで済まそう、じゃなくて
何が食べたいのかを毎回真剣に考えるだけでも違ってくる。
感じることを知る。
そのために、アートってすごく助けになるものだと思う。
私の写真もそんなふうに使って欲しい。
最近撮り始めた写真を載せるインスタを初めてみた。
実は、この写真たち、
私はファインダーをのぞいていない。
私という存在がそこにいて
カメラを持つ役でしかない、という形であるように。
つまり、私はそこに何が写っているかわかっていないで
シャッターを切っている。
でも、私はその植物たちの存在をリスペクトし、
私という存在が他の人や存在するものたちと同じ奇跡の存在だって認め、
私を通じてつながる人たちに
この植物のパワーを、生きるエネルギーを感じて欲しい、
という気持ちで撮っている。
それがどんな形になっているのか、
よかったら、見にきて欲しい。
そして、自分だけの感覚で、自由に「感じる」ことをしてみてほしい。
https://www.instagram.com/yukko_photography/
