感性と循環と | 写真家yukko*のVIVIDにゅ~す!

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写真家でファッションコンサルタントのyukko*です。

わたしは、人は幸せでいるために生きていると思っています。
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こんにちは♪

とても久しぶりにこちらのブログを書きます。

 

今年2020年、新しく宝石の仕事を始めて

そっちをとにかくわしわしとやってきて。

 

なんだかひと落ち着きした感じです。

 

・・・って書くとなんだかまあ普通ですけど、

心がひっくり返されるようなこともいっぱいあって。

 

その起こった「事件」をひとつひとつ丹念に見て行ったような

そんな年でした。

 

丹念に見る、ってまあ、ひとくちでいうとそうなるけどさ。

 

どんな感じのことをやってるかちょっと一つ例を出すね。

 

例えば昨日ね。

 

朝ごはんにグラノラ食べましょと思って

棚からグラノラ出すでしょ。

 

そしたら、最近訪問した先にグラノラをお土産に持っていったことを思い出して

その訪問した先の人のことを思い出したのね。

 

で、そのお土産のグラノラは

私が大阪で一番美味しい!と思ってるチョコレートやさんのもので

その入っているチョコはもちろん、素材やミックスかげん、いろんなことが

私は絶品だなあ、って思っていてリスペクトしていて

それだからこそわざわざお土産で持って行ったんだけど。

 

ところがその訪問先の人に後日会ったときに

その人に「あれ美味しかったのであのあと自分で作っちゃいました!」

って言われたのね。

 

私としては、喜んでくれたのは嬉しいけれど

唯一無二と思っていたそのお店のグラノラと

一般人が適当に混ぜたものを一緒にして欲しくなかったのね。

 

デリカシーない人だなあ、とその時は思ったんだけど。

 

でも、よく考えれば

私自身はアーティストだから、やはり

この世で作られている全ての「アート」と思うようなものに

リスペクトの気持ちを持っていて。

 

しかも、そのチョコレート屋さんは長いお付き合いなので

どんな心持ちで、どんな誇りを持ってこだわりを持ってやっているか

すごくわかるからこそ、そのときなんだか腹が立ったけど。

 

でも、少し時間が経ってみると

それは、個人の感性の違いで、

そのお土産あげた人はそこまで考えないで

美味しかったよ、と伝えるつもりで言ったのかもしれない。

 

それを、「わかってくれない!」と怒っても

誰のためにもならないんだな〜・・・と。

 

私はアーティストだし、感性がたぶん人よりもこまかいのだと思うの。

同じ部屋にいる人がどんな感じ、状態、かみたいなのが大体わかってしまうし

メールやその人の書いた文章からもその人のことを感じたりする。

 

そういう感性を持った自分が大事にしていることひとつひとつを

私よりもおおらかな人に「わかれ」と言っても無理なのかもしれないな、と。

(これは、まさにその「おおらかな人代表」みたいなうちの姉ちゃんによく言われた)

 

かと言って、

自分の感じていること、大事にしたいことを捨てるのではなくて。

それをたんたんと、いろんなツールで表現していく。

 

そしたら、それを感じてくれる人が寄ってきてくれるかもしれない。

全部は伝わらなくても、一部であっても共有できれば幸せなことなんだなと。

 

そう思うためには、条件があって、私の場合。

 

私はおそらく、日常いろんなことを感じて

こまかい粒子の流れまでを感じて

それを無意識に処理しているから

生きているだけでものすごくエネルギーを使うのだと思う。

 

その消費するエネルギーを

ちゃんと休んでチャージすることが必要なんだなと。

休んだり、美味しいものを食べたりね。

(姉ちゃんに、きめつのやいばの登場人物は1年とか平気で寝るんだから

あんたも寝なきゃ!って言われました)

 

あとは、私の感性を「わかる」人と

(いまは姉ちゃんがわかろうと努力してだいぶわかってくれるのでありがたい)

自分の大事にしていること、自分の感性が喜んだ話、なんかを

シェアして「循環」すること。

 

「わかってもらう」って循環なんだと思う。

そして、癒しなんだと思う。

 

今年、体感でやっっとわかったことは、

焦らずにチャージをして、満ちるまで待つこと。

(満ちる、についてはまた書きますね)

 

チャージをして

喜びにあふれた私でアーティストとしての「表現」をすることで

今度は私が、誰かの「循環」の流れになれるんじゃないかなと思っています。

 

きっとこれからの時代は

これまでの予定調和が通じない世界になっていく。

 

だからこそ、これまで「世間」や「一般」や「普通こう」の中で殺されてきた

個々の感性を呼び覚まし使っていくことが

すごくすごく、大事になるんじゃないかなって思います。

 

地味ながら、そんな作業を

言葉通り「体を持って」感じた年だったように思います。

ありがとう2020。

(まだ気が早い笑)

 

 

(さいきん写した写真がこれしかなかった・・・

神戸ペンショーに行った時のもの。

ここから、万年筆の魅力にやられております・・・^^;)