25年前もこんな日だった。
それまで夏を引きずったような秋だったのに、突然冬がやってきたような。
次の日の明け方は、吐く息が真っ白だったことを鮮明に覚えている。
25年前のその日、市民吹奏楽団の練習後は、仲間とご飯を食べに行くのが常だった私が、
なぜかその日は気乗りがせず、珍しく一人暮らしの部屋に帰った不思議。
後から考えると、何か感じていたのかも知れない。
22時ごろ、いつもはいないはずの部屋の電話が鳴った。(当時ケイタイはない)
父親だった。
「お母さんが・・・・」
えっ?何?どうした?
母親の突然死を告げる父の声、今でも耳から離れない。
何が起きたのか呑み込めずに頭が真っ白になったあの日。
母親54歳、特に健康に不安もなく、仕事と水泳や日舞も楽しむ日々。
その日も日舞の練習から戻って、汗を流すためにお風呂に入っていたらしい。
そしてそのまま、原因不明の突然死。
なんという人間のはかなさ。
こんなにも生と死は紙一重の隣り合わせなのか。
心臓が止まった、ただそれだけのことが、こんなに天と地をひっくり返すほどの衝撃を起こすのか。
命とは何なのか、人は何のために生きているのか。
20代の私の理解をはるかに超える衝撃で頭がおかしくなりそうだった。
これが事故や災害であれば、恨む対象に怒りをぶつけることで自分を保てるのかとも思う。
それもなく、ただひたすらに悔やむことしかできず心が壊れそうだった。
゛
25年経った今思うのは、この経験をしたことがその後の私を大きく形作っているなということ。
まだ何者でもなくボンヤリ生きていた私に、ガツンと喝を入れられ、人生について頭がハゲそうになるくらい考えたことは、今となっては有難い転換点だったと思える。
生きていること自体が奇跡であり、生きていることを味わい尽くさなければもったいない。
死んだら何もかもが終わり。
何ごとにも当たり前はなく、明日崩れてなくなる可能性をいつだって感じている。
だからこそ今の目の前に感謝だし、欲張らず身の丈を受け入れたい。
そして、同じ悲しみを抱えた人には心から寄り添ってあげたい。
辛い経験はないに越したことはないけれど、経験することで生まれるものもある。
どんな経験も不要なものはひとつもなく、それが人間の厚みにもなるのだと思う。
「人は悲しみが多いほど人には優しくできるのだから」
何でそんなにポジティブなんですか?とよく聞かれる。
だって、明日死ぬかも知れないなら、なるべく笑って過ごしたい。
やりたいと思いながら先延ばしにしていたマーチングバンドを始めたのもこの時。
今年まさかの25周年を迎えた。
今の幸せは、大きな悲しみを味わった代わりに神様がくれたご褒美な気がしている。
今ではあの時の衝撃に感謝すらしている。
こんな日がくるなんて、あの時の私に教えてあげたい。
