キリシタンの島・歴史 | 【余計なお世話ですが】主婦力プロデューサーのブログ

【余計なお世話ですが】主婦力プロデューサーのブログ

主婦力プロデューサーとして、企業に主婦の力を認めてもらうべく日々奮闘しています。主婦がイキイキできる世の中は、きっとみんながイキイキできる世の中。ワークライフバランスのとれた笑顔あふれる世界を一緒に作りましょう♪

photo:01



前の記事にキリシタン出て来なかったですね
タイトルに偽りありでごめんなさい~




天草=隠れキリシタン=天草四郎=島原の乱

知っているようで、イマイチ確信もてない知識。
写真の「天草四郎メモリアルホール」で、しっかり学びました。


島原の乱は結局農民一揆。
その農民たちがキリシタンだったってことなんですね。
重い年貢とキリシタンの禁教令との不満が重なって爆発したのです。

天草を治めていた小西行長が、関が原の乱で敗れて殺され、
その後任で新しく赴任して来た唐津藩の寺沢さん、これがさー、悪いヤツなのよ。

増税増税で年貢をとりたてるわ、
飢饉なのに納めきらない農民には「蓑踊り」と言って、蓑を着せてなんと火をつける拷問をしたり。

耐えかねた農民が結集して一揆を起こしたのです。

寺沢さんが火消しにやっきになっても、農民の怒りの方が大きくて寺沢さん結局は敗退。
唐津藩だけで対応できずに、幕府軍登場。その数12万。

農民たちは、天草の向かい側の島原に移動して、原城に立てこもりました。
5ヶ月の篭城の末、結局は4万人を超す農民全員が死に絶えます。

このとき幕府軍は、色々と懐柔策を提案しました。
女性や子どもは助けてやるとか、条件づけで改心すれば罪を軽くしてやるとか。
ところが、4万人の誰も聞く耳をもたず、全員が死んでしまうのです。

このことで幕府は、キリシタンの不気味さを痛感したでしょうね。
何しろ、お上の言うことにも耳を貸さないのですから、幕府の面目も立たないし。
ということで、この後、キリシタン弾圧はさらに厳しくなっていくわけです。
農民も武士も人間として平等、という考えは、幕府にとってはあり得ないですしね。


ところで、天草四郎ってどんな人だったか?
「紅顔の美少年、16歳」くらいしか知らないし。。。

メモリアルホールで一生懸命資料を読んだけど、結局イマイチよく分かりませんでした。

島原の乱の総大将とは言え、彼が扇動したというよりも、どうも周りが担ぎ上げたって感じでした。

彼自身、聡明でカリスマ性があったのは事実。当時彼は、長崎で勉学に励んでいたそう。
そんな彼を、オトナたちの事情で、何のしがらみも穢れもない神聖なものとして据えようと
留学先の長崎から呼び戻し一揆に引っ張りこんだようです。


突如現れた少年なので、詳しく分からないこともたくさん。
その生涯も16年しかなかったわけだしね。

それにしても、16歳で大人たちの前に立って堂々と指揮をとるって、
やっぱり昔の人はオトナになるのが早いですね。