兵どもの夢のあと「名護屋城」 | 【余計なお世話ですが】主婦力プロデューサーのブログ

【余計なお世話ですが】主婦力プロデューサーのブログ

主婦力プロデューサーとして、企業に主婦の力を認めてもらうべく日々奮闘しています。主婦がイキイキできる世の中は、きっとみんながイキイキできる世の中。ワークライフバランスのとれた笑顔あふれる世界を一緒に作りましょう♪

★募集★
■メルセデス・ベンツショウルーム見学会
〆切11月25日(日) 詳しくはこちらリンク 
--------------------
■空いている時間にチョコッとお仕事!
〆切11月30日(金) 詳しくはこちらリンク 
--------------------

IMG_4966.jpg

昨日の呼子の帰り道、念願だった(?)名護屋城に行ってきました。
(以下、自己満足の備忘録ですから、興味のない方はスルーで)


秀吉が、朝鮮出兵のときの本拠地としたところ。

ここから、20万もの兵が朝鮮に旅立ち、10万もの兵がここに詰めていたという
歴史的にもかなり重要な土地が、こんな片田舎(失礼っ!)にあるなんて、
ピンと来ないしあんまり話題にもならない。

それを一度この目で見てみたかったんですよねー。


場所は、佐賀県唐津市(元東松浦郡鎮西町)

秀吉がなぜここを本拠地に選んだかというと、
「ナゴヤ」という地名が、自分の出身地の「名古屋」と同じだったからと言いますから、
面白いですねー。

IMG_3377.jpg


当時、秀吉のいた大阪城に次ぐ大きさだったという名護屋城。
なーんにもない田舎に突如現れた巨大なお城に、当時住んでいた人は
びっくりしたでしょうねぇ。

IMG_2866.jpg

お城の周囲には、160もの大名の陣屋がひしめき合っていたとか。

どこに誰が陣を敷いていたかを書いた表示がありましたが、
徳川家康、上杉景勝、直江兼続、織田信秀、伊達正宗などなど、
教科書や大河ドラマでもおなじみの名前がズラリ。

400年前、そんな有名な戦国大名たちが、みーんなここの場所にいたかと思うと、
何だか歴史がグッと身近なものに感じます。

これだけ大名がいれば、当然町人も増えるわけで、
食べ物屋もあっただろうし、生活を支える様々な商売人が流入して、
一時は人口が30万人を超えるほどの軍事都市だったそう。

秀吉も家康もここにいるわけで、一時期は、
日本の政治の中心がここにあったと言いますから、なんだか驚きです。

そういえば、ここで優雅に「茶会」を開いたとか、歴史で習ったなー。
側室のお茶々がここを訪れて、それで秀頼ができたとか、
いや、そんな物騒なところに行くはずはないから、秀頼は秀吉の子じゃないとか、
そんな話もありますなー。


朝鮮出兵は、1592年~1598年。
国内の戦国の世が治まって、武士の職場である戦場と渡せる恩賞がなくなったとき、
秀吉が、朝鮮を奪って大名たちの「仕事の場」を創り出そうと目論んだ戦争です。

今でも韓国から非難を浴びる対象となっている、悲しい歴史です。
ちょっと秀吉、やりすぎよねー。今でも私たち、迷惑してるんですから。

1600年が関ヶ原の戦いですから、この後すぐに江戸時代になるんだなぁ。
戦国の世の末期の末期、ここでついに秀吉の夢が破れたんですね。

IMG_1028.jpg

曇りだったので、海と空の区別がわからないと思いますが、
この天守閣の建っていたところからは、向こう側に玄界灘がひろがっています。

ここからたくさんの兵が船で出て行くのを見送ったことでしょう。
玄界灘のその先には壱岐、対馬、そして朝鮮半島。
20万人近い武士が戦って死んだ、悲しい戦いの出発の場です。


名護屋城は、江戸時代にすぐに取り壊されています。
もともと辺境の地だったここが、わずか7年間だけ数十万の都市になり、
その後、あっという間にすべてが引き揚げられ、
また元の辺境の地に戻った、そんな感じでしょうか。

調べてみると、鎮西町の人口は現在たったの7千人!!!
30万人の久留米市が、一気にいなくなったって感じ!?
そう考えると、すごいですね。

ただ、だからこそ、他に建物が建つわけでもなく、土地が整備されるわけでもなく、
今でもそのまま、400年前の城跡や陣屋が残っているんですね。

まさに「兵どもの夢のあと」


いやー、歴史って面白い♪