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昨日の呼子の帰り道、念願だった(?)名護屋城に行ってきました。
(以下、自己満足の備忘録ですから、興味のない方はスルーで)
秀吉が、朝鮮出兵のときの本拠地としたところ。
ここから、20万もの兵が朝鮮に旅立ち、10万もの兵がここに詰めていたという
歴史的にもかなり重要な土地が、こんな片田舎(失礼っ!)にあるなんて、
ピンと来ないしあんまり話題にもならない。
それを一度この目で見てみたかったんですよねー。
場所は、佐賀県唐津市(元東松浦郡鎮西町)
秀吉がなぜここを本拠地に選んだかというと、
「ナゴヤ」という地名が、自分の出身地の「名古屋」と同じだったからと言いますから、
面白いですねー。
当時、秀吉のいた大阪城に次ぐ大きさだったという名護屋城。
なーんにもない田舎に突如現れた巨大なお城に、当時住んでいた人は
びっくりしたでしょうねぇ。
どこに誰が陣を敷いていたかを書いた表示がありましたが、
徳川家康、上杉景勝、直江兼続、織田信秀、伊達正宗などなど、
教科書や大河ドラマでもおなじみの名前がズラリ。
400年前、そんな有名な戦国大名たちが、みーんなここの場所にいたかと思うと、
何だか歴史がグッと身近なものに感じます。
これだけ大名がいれば、当然町人も増えるわけで、
食べ物屋もあっただろうし、生活を支える様々な商売人が流入して、
一時は人口が30万人を超えるほどの軍事都市だったそう。
秀吉も家康もここにいるわけで、一時期は、
日本の政治の中心がここにあったと言いますから、なんだか驚きです。
そういえば、ここで優雅に「茶会」を開いたとか、歴史で習ったなー。
側室のお茶々がここを訪れて、それで秀頼ができたとか、
いや、そんな物騒なところに行くはずはないから、秀頼は秀吉の子じゃないとか、
そんな話もありますなー。
朝鮮出兵は、1592年~1598年。
国内の戦国の世が治まって、武士の職場である戦場と渡せる恩賞がなくなったとき、
秀吉が、朝鮮を奪って大名たちの「仕事の場」を創り出そうと目論んだ戦争です。
今でも韓国から非難を浴びる対象となっている、悲しい歴史です。
ちょっと秀吉、やりすぎよねー。今でも私たち、迷惑してるんですから。
1600年が関ヶ原の戦いですから、この後すぐに江戸時代になるんだなぁ。
戦国の世の末期の末期、ここでついに秀吉の夢が破れたんですね。
曇りだったので、海と空の区別がわからないと思いますが、
この天守閣の建っていたところからは、向こう側に玄界灘がひろがっています。
ここからたくさんの兵が船で出て行くのを見送ったことでしょう。
玄界灘のその先には壱岐、対馬、そして朝鮮半島。
20万人近い武士が戦って死んだ、悲しい戦いの出発の場です。
名護屋城は、江戸時代にすぐに取り壊されています。
もともと辺境の地だったここが、わずか7年間だけ数十万の都市になり、
その後、あっという間にすべてが引き揚げられ、
また元の辺境の地に戻った、そんな感じでしょうか。
調べてみると、鎮西町の人口は現在たったの7千人!!!
30万人の久留米市が、一気にいなくなったって感じ!?
そう考えると、すごいですね。
ただ、だからこそ、他に建物が建つわけでもなく、土地が整備されるわけでもなく、
今でもそのまま、400年前の城跡や陣屋が残っているんですね。
まさに「兵どもの夢のあと」
いやー、歴史って面白い♪

