どんな理由があっても暴力を肯定してはいけない、のには理由があるよ。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

時々耳にする言葉ですが、
「いじめられた方にも原因がある」という言葉があります。

なんてひどい考え方だろうと思います。

事故にしても、何にしても、単一の原因で生じることはほとんどありません。
たいていの場合は、様々な要因が複雑に絡み合って生じています。
ですから、「正義」と「悪」のようにきっちり2分して考える事はできないです。
そう言う意味では、確かに、いじめられた側にも「要因」があるのは間違いないでしょう。

ただ問題なのは、だからといって「暴力を肯定していいのか?」です。

殴られるような理由があったら、殴っていいのでしょうか?

よく、男性に暴行された女性に対して、
「そんな格好で夜道を歩くからだ。」なんて言う人がいます。
え、欲情したら襲っていいの?
襲われた方が悪いの?

泥棒に入られた人に対して、
「戸締まりが不用心だったからだ。」と言う人がいます。
え、カギがかかっていなかったら、他人の家に入って金品を盗んでいいの?
うっかりカギをかけなかった方が悪いの?

最近では、企業がコンピューターウィルスにやられると、
対策をしていなかったとして、被害にあった企業にペナルティがかかります。
え、国って国民の生命財産を守るものじゃなかったっけ?
自己責任なの?


もしも、殴られるような理由があったら、殴っていいのだとしたら、
その理由と暴力の判断は、個人がすべきではありません。
なぜなら、個人だと間違う可能性が高いからです。
だからこそ、司法制度があります。
裁判官がいて、検察がいて、弁護士がいます。
簡単に人を裁いて罰してはいけないです。

暴力が肯定されるのはとても危険な事です。
なぜなら、その暴力は自分に向かう可能性もあるからです。
自分が暴力にさらされたくないならば、暴力は肯定すべきではありません。

もちろん、いきなり襲いかかってくる人もいるかもしれません。
野生動物に襲われることもあるでしょう。
だから、暴力を行使させないだけの防御能力があった方がいいのは確かです。
でも、防御を充実させるために、全員が鎧を着て帯刀するようになったら、

重くてしょうがないです。日常生活に支障が出ます。
飛行機に乗るときも大変すぎる。
だからこそ僕達は、どんな理由があったとしても暴力を肯定しない必要があります。
多くの人がそう思えば、防御能力が必要な機会も減るからです。

もしも暴力が発生したのなら、
まずすべきは、暴力の行使を止めることです。
次にすることは、復讐ではなく、加害者被害者を問わず、被害にあった人の救護です。
どんな理由があったとしても、殴られて血を流している人に対して、
「日頃の行いのせいだ。自業自得だ。ざまあみろ。」と放置すると、
それもまた、連鎖していきます。

暴力を肯定することは、日本では自然に行われています。
「しつけには体罰も必要だ。」なんてのは最たるものです。
また、後輩に対しては高圧的、先輩に対しては従属的、なんてのも、
相手によって暴力的行為を使い分けている卑怯な行為と言えます。
この教育風土がある限り、日本では暴力を肯定する人はいなくならないでしょう。

だからせめて、自分だけでも暴力を肯定しない努力が必要です。
そもそも、他人の行動は支配しちゃいけないからね。
自分だけでも暴力を肯定しない、という人が増えてきたら、
世の中もちょっとだけ変わります。
微力は無力ではありません。

僕はこの世から、いじめや暴力を無くしたいです。
児童虐待をなくしたいです。
人の自信と可能性が奪われない社会を作りたいです。